大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

夫婦か子供か 不妊治療③

思うことがあって、不妊治療を一旦やめることにした。思うこと、というのは、将来への不安だ。経済的な不安ではない。子供が生まれた時、私たちの家庭は父親不在になるだろうという不安。

 

夫は家庭的なタイプではないが、家事はそれなりに努力してくれるタイプだ。だが、いかんせん家にいる時間が短すぎる。家にいるのは週のうち3日ほど。しかも、その3日も早くて20時、遅くて25時。ほとんど家にいない。休みも1.2週間に1日ある程度だ。

テレビ業界人に限って言えば、まぁまぁ、休めてるね、という感じではある。基本的にテレビ業界の人は家庭を顧みない。

 

その生活は体力的にはきついのだが、充実したものでは間違いなくある。誰かに必要とされて、限界まで出し切る。過労死リスクは極めて高いが、それでも、本人が納得しているのであれば、決して悪い人生ではない。

それを理解しているつもりだ。私自身も体力がないのでブレーキをかけているが、忙しくなると、徹夜もざら、休みは月一度無理やりとる、家事は最低限度、みたいな感じにはなる。その時は夫は静かにフォローに回る。お互いさまだ。

 

それでも、そんな夫婦共に家庭を顧みない生活で破綻しないのは、家に何もないからだ。

子供ができたら、私はたぶん、仕事に相当なブレーキをかけざる得ないだろう。

そして夫は不在だろう。家に帰って来ても、ゲームや動画を死んだ魚の眼をして眺めてはそのまま寝落ちする。

その隣で私が育児や家事に追われていても彼は気がつく気力も手を差し伸べる体力もなく寝落ちする。今でさえ、彼は休みの日でもなければ洗濯さえする余力がない。

 

私からすれば正直かなりなストレスになるだろう。社会に出られない、自分の時間も持てない、義母の顔色を見ながら、家で子供の命と将来の重圧が重くのしかかる。

夫は口では二人で育てようという。気持ちは間違いなくそうだろう。だが、実が伴うか。今できないことを子供ができたからといってできるわけがない。おそらく状況は悪化する。

私は後ろめたさを抱えながら義母に全面的に頼り、夫の非協力的な態度にイラつき、次第にあいつは家にいなくていい、金だけ家に入れればいいと、夫を突き放さなければ気持ちに折り合いをつけられなくなるだろう。もしくは耐えられなくなって、飛び出すように離婚するだろう。

考えるだけでもゾッとする。そんな未来を私は望まない。

そもそも子供が欲しい理由も、夫家族の中で居場所を作るためという現状打破のためだった。長くなって来たので、また改めて書く。