うまい飯屋とデートスポットは別物。
ツイッターで男のデートの話題が上がっているを見て思ったことがある。
読書くん on Twitter: "ファミレスとファストフード以外に外食店の選択肢がない男性はそれなりの割合いるので、その手の人とデートする時は女性の方からお洒落な店を提案するのも一案だとおもう"
マジでこれだよなぁと。
恋人に食を求めてどないすんねんとおもう。
そもそも、うまいレストラン、しかも値ごろ感がいい店、デートにおあつらえ向きな店を知っている、というのは、並みの財力と経験では得られない。
若かりし頃、上司など、毎晩飲み歩いている人と(会社の経費で)、よく飯を食べに行っていた。そのころ、思っていたのは飯屋を知っている人は物凄くマメ、ということだ。
上司の年代のせいもあるが、彼らはうまい店メモ作っていた。そこに、料理の種類や、エリア、価格帯、営業時間など、情報がかなり整理されていた。
だいたい飯を食べに行くなんて時は深夜に及ぶので、都内で12時前後空いてるうまい飯屋を探すとき、御仁はメモ帳片手に営業時間をチェックしながら目星をつけていた。
(ちなみに飲み歩いていた当時、私は20代だったが、愛人だったわけではない。マジに食に愛着が強い人は、女よりも飯への愛着が強いので、どんなに深夜に及んでも貞操の危機を感じたことはないし、彼らは主に飯の話しかしない)
私も彼らに真似してアーカイブスを作ったものだが、マメさと経済力、あと酒が飲めないという致命的な欠点のため、1人夜飯のハードルが高く、挫折した。
そんなガチ飯好きの人たちと外食ばかりしていたためか、恋人にはうまい飯屋を求めることはなかった。付き合う男は皆、飯屋の選択のセンスが悪い人ばかり。
大学の後輩は金も知識もなかったし、40代の男性も、そこはないな、と思う店がうまいといい、夫も基本チェーン店しか知らなかった。
ちなみに、そこはないな、とは思っても味覚音痴とは思わない。うまい・まずい、快不快はその人の人生経験に根ざしたものだ。頭ごなしに否定はできないし、私のうまいをまずいと思う人もいる。パクチーが口に合う合わない人がいるのと同じだ。私はアジア系の料理が比較的得意なのだが、それは私が東アジア料理に触れる機会が多く、外国の味覚への寛容度が高いからこそだ。逆に東北や北関東の味覚に触れる機会が少なかったために、そのエリアの味付けはなじみが薄く、うまいと思うこともなかなかない。
どこの店をうまいと感じるかその人が生きてきた人生そのものでもあり、肯定も否定もするべきものでもない。店屋の選択を基準に、人の良し悪しは決まらないからこそ、別にどんな店に案内されても気にならないというのはある。
そもそも恋人に私は一緒にいて居心地の良さや、見た目の良さ、会話のテンポの良さを求める。飯屋の選ぶセンスなんて、別にあってもなくてもいい。
恋人に店屋の選定を丸投げする方がおかしい。飯屋の好みのタイプをきいてばちこんの店を選べるなんて男はマジで遊んでないとできないし、そんな男と対等に付き合えるのは、丸投げせずに語り合える知識のある人ではないだろうか。
私のように、うまい飯屋には行きたいが己で開拓するほどの冒険心も、財力も、几帳面さもない人は、男に飯屋をもとめてはいけないと思う。
ただ、やはり、うまい飯屋に行ける友は欲しいなと思う。
いい店、というのは、私のような下戸の女が1人で行くにはハードルが高い。(漠然とだが、うまい飯屋において女の客人は男が連れてくるもの、という暗黙のルールがある気がして、気がひける)さらに、服装も雑な格好(カジュアル)では足を踏み入れづらい。もっといえば、女性は食事の時の立ち振る舞いが店の人にとっても、最も大切なマナーだろう。粗雑な私にはその意味でも大いなるハードルがある。
たぶん、財力の余力のない男にとっても、敷居は高いだろう。だからこそ、金もない若い男にうまい飯屋なんて期待しちゃいけないのだ。
書いてて気がついたが、飯屋は圧倒的に男社会なのだなぁ。(気軽に入れるうまい店屋ももちろんあるが、うまい店屋はやっぱり独特の暗黙のルールがあるように感じる)
でも、また、うまい飯屋でも、開拓してみようかなぁ。