大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

コンサータ18ミリ 使用14日目 女性特有のADHDとは?

朝目覚ましにより8時前に目覚める。コンサータを8時前に服用する目論みだったが、体が動かない。眠いし、体が重い。30分だけ、と何度もやってるうちに9時すぎに。ええ加減飲まな、と、服用。

頑張ったご褒美に二度寝。いやご褒美じゃねえよ。結局10時半頃までグダグダ。ええ、平常運転ですね。

 

2時前には寝たから、なんつーか、いつもより早く起きれてもいいと思うんだけど、いや、目は覚めたけど、前日はそんなに働いていないし体を動かしてもいない。いのちだいじに、で防御ばっかしてた一日だったのに、なんなの、この全身疲労は。

 

すっきり、朝から動きたいわ。

 

ADHDのことを調べていると「女性の」と題されることがある。今まで見過ごされてきたとか、なかなか注目されてこなかったとか言うし、ちょっと調べてみると、女性で、ADHDの診断を受けた人は「私に当てはまる」とかいうレビューも見たりした。

ウェブ記事でいくつかググってみたりはしたが、いまいち説得力があるものがない。なんというか、これを性別で分ける必要性があるのかな?と。

もちろん需要があるのは理解できるのだが、私に当てはまるのか?と。

 

女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)

女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)

 

 さっそく手に入ったので読んでみた。

ADHDの人向けにかかれているからか、図解が多く読みやすい。でも、私は、文字なら文字だけ、図解なら図解だけにしてもらえないと、文字を全く読まなくなってしまうので、正直微妙だった。図解した分だけ情報量減るし。

要は女性のADHDは見逃されやすいということが一番大きいらしい。

ポイントは要は下記のようなことらしい。

  • 女性は衝動性を伴わないパターンが比較的多いっぽい
  • ADHDによって生まれた生きづらさを自分を責める方向にいきやすい(男性は外に向く傾向があるそうな)
  • ぼーっとしてたり、行動が遅い、ぼーっとしてたかと思ったら突発的に衝動的な決断をする、など、従来のADHD像とは違うかたちで出現する(多動性、衝動性が目に見えてわかりにくい)
  • 性コミュニティに馴染めない
  • 人の話を聞かないで喋り続ける
  • 同性に嫌われる
  • ADHDという診断を受け入れられない(ショックが大きい)

などがあるらしい。斜め読みなので、あまり真に受けないでほしい。ざっくりこんな感じと思ってほしい。

ちなみに、私は1つも当てはまっていなかった。もちろん、人間関係がうまく出来ていたわけではない。

性コミュニティが得意でもなかったし、浮いていることも、たぶんいじめられていたこともあったけど、それで苦しんだこともないし、あれはイジメや浮いてたと気がついたのは、大人になってからだ。なぜか皆とうまくやれていたといういい思い出が残っている。

デブでオタクで、エロゲ好き、同人やったりもしてたから、そもそも普通の女子とは話が合わなかったから、私のほうが近づかなかっただけかもしれないな。

 

ただ、たしかに、ADHDだったであろう同級生を思い出すと、そんな感じだったかもしれない。すっごい走るのが早いかわりに、いつも奇声を上げていて、授業中も落ち着きがない(だけど勉強はできた)。人の話を聞かないで喋り続ける、そしてすぐ声を荒げる。女子からうざがられていた女の子がいた。

あいつ普通じゃねえと誰もが思っていたが、今思い返せば見過ごされた女性のADHDとはあの子のことを指しているのかもしれない。

 

だが、女子と男子の差はどれほどのものなのだろうとやはり思う。衝動性、攻撃性は男性ホルモンのテストステロンがより多く分泌される男性のほうが高いだろうから、性差はあると思うのだが、親や、女性に求められる性に関する文化による差も大きいのではないだろうか?女性のADHDというよりも、それは、「女子はこうあるべき」の価値観により低下させられた自己肯定感や、アダルトチルドレンの問題なのでは?と思う箇所もある。また、ADHDという診断に落ち込むのも、適切な教養の無さゆえだろう。私自身はあまり感じたことがないが、「女はバカでもいい」という価値観の下で育った女性であれば、教養や知識は自分を守ることに繋がる、精神疾患(または発達障害)はスティグマではない、ただの事象でしかないことを、しらないだけなのでは?と感じてしまう。
どうにもそんな曖昧というのか、いまいち安定しない根拠の薄さを感じてしまった。

 

そもそも、私はおそらく、ADHDの中でも上位モデルに当たるタイプなのだと思う。

今の時代の小学校でやり直しても、私のADHDは見過ごされると思う。別に困ることはないし(身体は死ぬほどだるいなどはあるのだが)ADHDの本に書かれている対処法はだいたい全部実践して、そこまで大きなミスを日常生活では起こさないだろう。子供の遅刻なんて大した問題じゃないし(というようなスタンスだから周りにガチギレされてきたわけなのだけれども)。
授業中抜け出すこともあったが、それは、別に問題にならないタイミング(トイレとか、他の子が出ていっているのをみて、とか)だったし、授業に集中できなくても、予習復習できなくても、成績は並だった。おそらく軽度のレベルだし、それをカバーできる知性を持っている。

こう書くと、優秀な人間のように見えて恐縮だが、ようは人として生きる上で中の中or上のレベルに自力でなれていると解釈していただきたい。ADHDという現代社会においてハンディとなる特性をカバーできる上で上位モデルという意味だ。

 

問題点はそこじゃない。

金玉さんが書いていたが、俺たちの問題点は問題が発生した時にパニックになることだ。その時に尋常ならざるディザスター(大災害)を起こすこと。いくら日常生活で、定型発達と対等の能力で生きていられるからといっても、やはりそこはADHD。自分でも「なんでそんなミスするの?」という惨事を引き起こしてしまうのだ。

だからこそのコンサータだ。

ADHDは落ち着きがなく、常に頭の中に洪水のような情報量があふれている。それは、クリエイティブな場面ではギフトとなる。「全く関係ない点と点の共通項を見つけて、新たにつなぎ合わせる」ことができるのは、ADHDなど発達障害に与えられたギフトといえるだろう。

おそらく子供の発想が柔軟なのも、そこに起因するのではないかと思う。彼らの子供の落ち着きの無さや情報の吸収量、旺盛な好奇心は発達障害の多動性、注意欠陥、衝動性に近いものがあるだろう。…もちろん、発生機序はまったく違うものだとは思うが。

だが、コンサータはそのギフトにブレーキをかける。弊害でもある、洪水を止めるべく、簡易的な土木工事をしてくれるわけだ。

 

本を読んでいて思ったのだが、私、もしかしてASD入ってるんじゃないか?ASDアスペルガーなど知的障害を伴わない自閉スペクトラム(連続体、グラデーション的なこと)は、中性(男性)的な格好や、コミュニケーション、人間関係を好むらしい。

・・・わいやないか。

 

それにしても、コンサータ18ミリでは足りないのか、単に薬が合わないのか、一旦医者に相談してみよう。