大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

先入観が強すぎてまともな判断ができないけれど

正直言って私は、性自認を男性とも女性とも思えない微妙な立ち位置にいる。

それは、子供のころからそうだったのだが、それでも、平成のはじめから通っていた学校という場では、女児、女子と扱われてきた。

中学か、高校か、そのあたりから混合名簿になったような、単純に、生まれ年順が、名前順になっただけか、全く覚えていないが、正直子供にとって見れば、名簿なんてそんなものだろう。名簿が男女混合になったからって、どこまで子供にメリットやデメリットがあるのか、という気がする。

mainichi.jp

 

混乱するのは管理する大人のほうだと思う。高学年になったら、女生徒だけでやる保健体育とかの授業とか(そもそもあれは混合でやったほうがいいとは思うけど。ちゃかすやつがいたら、茶化すほうがおかしいという教育も含めて)体育のときの着替え(特に水着)のときの点呼とか、もしかして意外と運用になれるまでは難儀するかもしれない。

でも、男女で分かれることは、本当に合理的なことなのだろうか?と思う。もちろん、男女で着替えを分けることは私はそこまで非合理的なことだとは思わないし、セクシャルマイノリティへは、個別対応するほかやりようがない気もする。

 

これまで運動会の入場行進や綱引き、リレーを男女別にしてきた9月の運動会については夏休み中に教職員で協議。行進を男女別、綱引きとリレーを混合にすることにした。

新聞報道によると、こういうことらしい。 

 ただ、運動能力的なことで、本当に男女で分けることは、本当に合理的なのだろうか?私も「女生徒のほうが筋肉が少ないから」とつい条件反射的に考えてしまうが…それこそ、運動能力や身長別で分けることも一つ合理的判断ではないだろうか?私は最近格闘技を習い始めたのだが、男女別に分かれてグループを作ることがある。

その男女別…だから、身体能力が一定か、と言えば、全然そんなことはない。小学生、中学生、高校生、30代(私)だ。

小学生は、もう、背が低いし、スピード遅いし、ふにゃふにゃしているし、正直技入れるのが怖い。かと言って、高校生は、素人の私が技を入れるすきもないし、全般的に動きにキレがあるし、ヤラレっぱなしだ。

そりゃあ、年代が違うから、と言われそうだが、年代が近くても、運動能力の差はある。正直、同じ時期に習い始めた3,40代の女性が相手だと、技のキレもないし、こっちが技を入れたら、倒れそうだし、正直練習にならない。

習いはじめの高校生の男の子のほうが正直身長や経験値的にちょうどいいなと思う(いや、身体能力は大幅に私のほうが劣るんだけど)。

運動においても、十把一絡げに性別に二分するのは、あんまり合理的ではないんじゃないかなという気がする。もちろん、時間がない中で、適当に分けるのに性別は最適だと思うけど、タイムでわけるとか、身長で分けるとかの方が、合理的だろうなと。

正直、運動になると、「女は女と」「男は男と」にあまりにも慣れすぎて、それが当たり前過ぎて、フラットな判断ができるかはわからない。だが、体格の小さい男の子とかは、発育のいい同級生の男の子との、割の会わない戦いを強いられていたりとか、実は運動こそ、性差で分けると、子供の個性を踏みにじることもあったりするのかもなぁなんて思ったりした。