大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末45〜54ミリを体調に応じ飲んでますいてます

子どもを持つこと

最近、ふと、子どもを持たないで死んでいくことを想像してしまう。

子どもがほしいと思ったことは多々あるのだけど、最近はあまりほしいと思わなくなってきている。5歳くらいまではイメージが持てる。いや、10歳になる前までは持てる。でも、小学校に通い、中、高とどんどん大きくなっていくと煩わしい気持ちしか湧いてこなくなってきた。

子どもはめんどくさい。なぜか。明快だ。だって人間なんだもん。しかも、とてつもなく未熟な。

メンヘラの彼女なんて比じゃない、圧倒的理不尽を親に押し付けてくるに違いない。あいだの何だの言ったって、親も人間、耐えるのには限度がある。

最近は、親への不信感や怒りの対象でしかなかった、その親の目線に立ってる自分がいる。

親は全知全能ではなく、対等な人間どうしであるという発想を、子どもは一切持たない。(いや、親自身も持っていないから、支配の関係が生まれて大変なんだと思うけども。)

何にせよ、あんな子どもという理不尽の塊と向き合うなど、鬼畜の所業ではないか。

 

そう思うと、子どもなんてゾッとする、と率直に思う。

けれど、同時に、この、何の変化もない、静かな海のような日常に、薄ら寒い感情を覚えてしまう自分もいる。

パートナーとは、もう12年も変わらず仲良しだ。びっくりする。仲良しっぷりの安定感が半端ない。2人でガンダムや、マーベル、スター・ウォーズを見て、論評しあい、ドラクエウォークのガチャの確立の低さに「ゴミっ!」とぶーたれる日々。

楽しい、幸せ…そんな感情に満たされる。

だけど、ああ、このまま、これが死ぬまで続くのかぁと思う。

何のために今こんなに幸せなのかな、なんて思っちゃう。

正直に言って、変化がない生活が苦手だ。飽きっぽい。刺激がほしい。だからクリエーターやってるんだけどさ。

今、経験していない刺激は、子どもなんじゃないかな、と。2人で喜んで、2人で悩んで、2人で責任押し付けあって…なんかそういうの、ほしい気がする。

まあ、思っても、だからと言って行動を起こすかどうかは別問題なんだけど。

子育ては女性の世界だ。あの世界に、私は飛び込む想像をしただけで、ゾッとする。ウォッチャとして、観察対象として楽しんでいる主婦の世界に、巻き込まれたとき、長いものに巻かれる派のワタシは、たぶん流されるし、たぶん病む。そして孤立する。

それでも、なお、私は!…と、そうかんたんに腹をくくれないだろう。人間社会から逃げて逃げて、逃げて、フリーランスやってる人間に、子育てワールドはハードルが高すぎる。

まあ、村八分システムが現代社会に残っていなくて本当によかったな。

結論の出ない、いみのない悩みを続けていこう。