大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

鈴木涼美の文章は男みたいだな

元AV女優で、元日経新聞記者、社会学者の鈴木涼美さん。

前から面白そうだなーと思ってはいたが、彼女の書く文章を読み、さらに彼女への好感が湧いた。

lite-ra.com

〈それにしても、相変わらず日本の男子たちは、なんと良識的なんだろうと思う。鼻が多少団子っ鼻でも、脚がやや太くても、眉毛の形がいびつでも「いや、僕はそんなところ気にならないよ」と票を投じる。絶対あの子のほうが美人だけど「僕にとってはキミの方が可愛らしい」「僕はキミの内面的な魅力を見ている」「キミの頑張りを評価したい」と、まさに友人の評価はいまいちでもshe so cuteである。私はそれが気持ち悪くてしょうがない。〉 

性別がわからん文章だな、と思った。

新聞記事かよ、と思うそっけない記事。まあ、元日経の記者なのだから、そう思うのは当たり前なのだろうが(私に当然バイアスはかかっているのだろう)、この「女々しさがない」文章は、私はとても好感が持てる。

元AV女優という肩書きを持ちながら、こんなセクシャリティのない文章を書くというのは、いいことなんじゃないかな、と。

漠然とした感覚なのだが、女流作家などと言われる人の作風にはなにか、妙な色気がある。『女』然としたつややかさがあるのだ。

彼女の文章を読んだとき、なんとなく、私は予想を裏切られた感覚に陥った。

それは、私自身の中に、女性の文章はどこか、その文体に女という色気というか、どこかしめっぽいものを嗅ぎ取ろうとしていたのではないかな、とふと気がついたのだ。

考えてみれば、女の性を全面に出す作家の文章、テーマはどこか、背徳感のある恋や、エロい話が多い。そういう意味では、鈴木涼美も同種といえると思うのだが、彼女の文章には文体にエロさがない。新聞記事独特の、ちょっと上から目線のおっさん的な文体だ。ネタ的には下世話なのに。

(まあ、私小説あんまり読まないから、そんなにわかんないんだけどさ)

 

元AV女優という肩書きを逆手にとってのし上がってきた女性だと思うが、この女性は世間が求める女像に流されてはいないんじゃないかな、と好感を持てたのだ。

まあ、単純に記者時代の癖が抜けないだけなのかもしれないが。ともあれ、文壇の人間が書く文章は癖が強すぎてそもそも私は好きではないので、記者テイストが抜けない彼女を私は応援したいなと思った。

なんとなくだが、希望が持てるのだ。

彼女の年齢は32歳。世代的に30代前半くらいともなるとそろそろゆとりっていうか、ジェンダー教育を受けているだろう。5、60代とは少しは異なる男女間を子供の頃から身につけている(もちろん、旧態依然の価値観は根強く残ってはいるのだが、草食系男子などはこの世代が走りではないだろうか)

性的な肩書きを持ちながら、文体は性別の概念が弱い、それは女性が女性像に縛られ、男性が男性像に縛られる社会から少しずつ、離れていく、一つの象徴のように思える。

 

以上、記事の内容とは全然関係ない話でした。