無意識に消耗していたかもしれない
メンタルが長らく不安定だったのだけど、この本を読んで3日間のセルフ入院をしてみようと思い、実践してみた。
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セルフ入院は3日間、テレビやネットも見ずに、ただひたすら横になるというもの。メールも、スマホもパソコンも開かない。もちろん、そんなに落ち着きのある人間ではない。また、体力がそこまで枯渇しているというほどでもないしと言い訳して、電子機器から離れたのは初日の10時間くらいだけ。
たった10時間くらいだけでも、少し内省できた気がする。
私は今色々あって、フリーランス生活に限界を感じていて、就職先を探している。営業してまで仕事を取りに行く根性がないのと、生活を立て直すためにも、安定した収入がほしいからだ。
はやく手取りを、年収を、とかなり焦り、広告系の職種中心にエントリーをしていた。広告系の会社から内定をもらえたりもしたのだが、ちょっと地雷っぽい会社の雰囲気がぷんぷんしていたこともあり、蹴ってしまった。(仕事がないと悩む割には何様だよって感じだったが、面接の時点で会社の方針にドン引きだったり、条件の交渉があまりにグダグダだったのもある)
妊娠流産、別居、内定辞退…最後のヤツは自業自得というか、何様だよという自己嫌悪が結構強くなった。いや、正直、今年に入って、何様だよと、自分で自分を責めることばかりだ。
頼まれる仕事があまりにも単価が安いなど、蹴らざるえないことも多かった。人を否定するというのは、なかなかしんどい。「余裕で最低賃金割り込む仕事で消耗していられるか」とイライラする感情と、「お仕事をいただけている立場のくせに、何を偉そうに」と、内なる声が同時に脳内に響く。仕事をしていなくても自己嫌悪の声で頭の中がいっぱいになる。
実家に戻っていることもあり、親や兄弟、近所の目が気になったり、今のままずっと生活するわけにはいかない焦ったり…。
何よりも自分自身が「どうしてこうなってしまったんだ」と落ち込む。
焦ってはだめだ、自分を責めても意味はないと理性で分かっていても、自分を責める衝動を抑えられずにいたわけだ。
冒頭で書いたように、インターネットを触らず、今は休む必要があるのだと、横になったことで、自分が何かと追い詰められていることがぼんやりと受けいられるようになった。
そして、30歳を前に、メンタルを病んだり生き方に迷っていた20代後半と同じように、今40歳を前にまた生き方を模索しているようにも思えた。この停滞は必要なプロセスだとちょっと思えたりした。
別に普段からダラダラごろごろしているのだが、改めてカレンダーを見返すと、4月に実家に帰ってきて3ヶ月間、何もしないというタイミングはなかったみたいだ。
暇だ、怠けている、他の人に比べてだめな人間だと思っていたが、小さな疲労がじわじわ溜まっていた可能性はある。なんといってもADHDだから休むのが下手なのだろう。というか、定職についていない分、休むメリハリがないのかもしれない。
特に、よかったと感じるのは、自分がやりたいことがちょっと復活したことだ。「就労して金を稼げればいい」「なんでもいい」と思っていたが、「いや、なんでもよくはないだろう」と思える気持ちが湧いてきたわけだ。
作りたいものがもうない、とか、頑張ることへの怖さやめんどくささが勝っていたのに、やってみようかな、という気持ちがちょっとずつ湧き上がってきた感じがある。
…と、まあ、それでも全然やる気が枯渇していることは変わらないし、このやる気の無さは一生消えないのかもしれないけど。