精神面を責められると普通に凹む
上司たちの何がいやか、少しずつわかってきた。
彼らは精神論を責めるところがある。
「努力が足りない」
「社会人としておかしい」
「危機意識が足りない」
「落ち着きがない」
「パニックになるなんて責任者としての自覚が足りなすぎる」
「それができないんだったらテレビの仕事なんてする資格はない」
それを言われると
「仕事辞めるしかないね」
という気持ちになる。
私は多分足りないし的はずれなのかもしれないけれどそれなりに必死に生きている。
あなたは、睡眠の記録をつけているのですか?あなたは精神科に通っているのですか?あなたは薬を飲んで、そのログをつけているのですか?あなたは、朝を起きるためにどんな努力をしているんですか?
人を傷つけないように、相手を尊重するように、必死で生きているのに、それをいつも怒られるという人生をあなたも生きているのですか?
私がどれほどの生きるための努力をしていると思っているのですか?
私は確かに、どうしようもない怠け者です。
朝も起きられない、夜も起きていられない、自分で食事も作れない、風呂に入る体力もない、部屋に付く前に階段で力尽きて二足歩行ができなくなる。
でも、そんな努力をしてる、苦しさと戦ってる、と言っても、結果的に仕事が出来ないという事実は変わらないわけで、そんな努力をしてることを言う必要があるのですか?めまいをするほど生きることに怯えていることを?そんなことを知ったところで、仕事ができるようになる訳ではなく、私は可哀想な人と見られるだけで、もはやほとんどない信頼さえ失うかもしれないのに?
夜眠れなくなるほど、呼吸がうまくできなくなるほど、不安になっていることを?
不安に支配されていたら何もできなくなるから、必死で平静でいようと努力しているのが、能天気に見えるのでしょう。
危機意識が足りないと見えるのでしょう。
そうでしょうね。私はあなたではない、あなたのように能力が足りないですから、まともな人間ではないですから。
だから、私は生活保護になっても叩かれないよう社会に働きかけている。人の役に立たなくても、生きていていい理由を探し続けている。
頭ではわかっている、彼らは私の人格そのものを否定している訳ではなく、ただ仕事で結果を残してほしいだけなのだと。私の努力が足りないから、意識が低いから、達成出来ていないのだということを、彼らは思って、私のために言ってくれている。
ただの私の否定にしかなっていないことに気が付かないまま。私は彼らに説明する力はない。そんなに言葉をつぐむことも、彼らと向き合う気にも、なれない。なぜそうまでして惨めな自分を晒さないといけないのか。
人はそれぞれ違う。そんな当たり前のことを、強者は簡単に見失う。
彼らはめちゃくちゃ能力が高い。もちろん、彼らからすれば、がんばって無理をしているのだと思う。その事実を認めないのは傲慢なことだと思う。彼らだって必死に生きている。高齢者だし、病気もしている、辛い思いもして、無理もギリギリのところでしているのだと思う。でも、そもそも、無理ができるのだ。
無理ができる体力がある、という自覚さえなく。ただ、普通に生きること自体が無理をしてるのだと、気が付かないまま、無理が足りないと強いる。
私の100が、彼らの70で、私の120が彼らの100。
彼らが全盛期のころの100は私の200くらいな気さえする。
絶対に、彼らには私はなれない。
それを、努力が足りない、できるはずなのに、と言われるのは、やはりきつい。もう、ほっといてくれ、と思う。あなたが見えている世界を、私は見ることができないのだ。ドーピングをしても、あなたたちには遠く及ばないのだから。
説明は必要だとは思う。だが…、自分が無能だと、説明する屈辱を、私は耐えられるだろうか?まだ私自身が理解できていないというのに。
日々、世の中の人の能力に驚かされる。
たった6時間しか寝ていないのに、なぜ、あんなに身体が動くのだろう、とか。
理解できないことばかりだ。
精神論で責めるのはやめてほしい。人は、自分が想像もつかないようなところで、思いもしない苦労をしているものだ。メンタルが弱いのではなく、想像もつかないようなところで、普通の人がつまずかない挫折をしている。その上で、普通の人と同じふりをしているのだ。だからこそ、なんの努力もせず、ぼーっとしているような扱いをされたら、傷つくし、メンタルも不調になる。
よくわからない、めんどくさい、はれものに触るような、扱いをしてほしいのではない。精神論で私の無能さを片付けず、ちゃんと具体的に言ってほしいのだ。
精神論で、責めるのはやめてほしい。
ADHDの診療を行う医師向けに医師が書いた本をなんとなく読んでいる。 その中にこんな記述があった。
具体的に指導するとできる人が多い。診察は5分まで、質問は二つまでという行動設定についても、そのように自助努力を高める支援をしていけば、本当に素直に守ってくれて、スムーズにできるのである。つくづく彼らは上手な指導のされ方をしてこなかった、能力をスポイルされてきたと感じるのだ
これを読んではっとさせられた。
我が夫は、決して私を精神論で責めたりしないのだ。時々、雑に怒るときはある。私が大阪の震災でなくなった人のことを「あ、死んだの4人なんだ」と言ったら「そんな言い方ないだろ」と感じ悪くいった。
夫が「テレビ、特番になっていないね」と言うから、「関東じゃ騒がれないレベルなんじゃない、特番になるには死んだ人の数足りないんだよ」と、ある種のメディアに対する皮肉と夫にわかりやすく解説してあげたいという親切心を持って言ったのだが、あまりにも無防備で、死者への悼む気持ちも、人としての温かみもない言葉のチョイスに、むっとするのは、当然だなと思った。(伝わんねえよな、俺の親切心なんてよ。と若干腐りながら)
それでも、私の言い分にちゃんと耳を傾けて、細かくどうおかしいか、解説して、指摘してくれる。
私は、ご飯を食べている時に、しょっちゅうこぼす。(ご飯だけじゃなくて、色々こぼすんだけど)口に穴が空いているんじゃないかってくらいこぼす。
そんな私の食べ方を夫は
「さっきからあなたの食べ方を観察しているんだけど、あなた、口に入れる瞬間テレビに目がいくんだよね。あなたの食べ方を俺がやってあげるよ」と、実践して「食べ物を食べる時は、一旦テレビから目を離して。1秒もないでしょ、口に入れる瞬間まで食べ物に意識を集中して」
それができれば苦労はしないので、正直、未だに実践できていないのだが、(※内容はどうあれ、テレビがついていたら、どうも音がする方に目が行ってしまう)
「ああ、そういうことが私に起こっているのか」ということを気が付かせてくれる。
「だらしがない」とか「いい大人なんだから」「落ち着いて食べなさい」「集中しなさい」という精神論や、ざっくりした指示ではなく、具体的な問題点を指摘して、対策のとりようがある指示をしてくれる。
少なくとも、私は、食べ物を見ながら口に入れるということを意識できるようになる。
(ただ、握力の問題なのか、意識を向けても、箸から食べ物が落ちてしまうことがあるので、なかなか簡単ではないのだが…)
何よりも、彼の言い回しでは、私が自分を社会のクズと思わなくて済むのだ。
「落ち着いて」とか「緊張感を持って」「ちゃんと考えて」「軽々しくパニックになるな」と言われても、私自身もそんなことはわかっているわけで。
それができるんだったらさ、精神科なんていかないし。こんなに悩み続けないよ。何年越しの悩みだと思ってるの?ほしいのは、精神的な話じゃない、そんなことはもう百も承知。つーか私も自分に言ってる。具体的な話だけでいいのです。
これ以上私を追い詰めないでください。
まあ、こんなことを私が上司にいっても、甘えにしか聞こえないでしょうね。そんな教えを請う立場の人間が偉そうに何を言っているのか、という話です。