大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

あるデジタルネイティブの走りの思い出話

現代のストーカーについて論評されたある本のはしがきが、現代はメールをはじめ、ラインやfacebookなど繋がるツールが爆発的に増加しているという書き出しだった。

私はとっさに

は?何いってんだよメールもラインも似たようなもんだし、爆発的に多様になってねぇじゃんと思った。

が、そこではたと思い返したのた。たぶん、これを書いた人の学生時代にはケータイとかネットがなかったんじゃないか?と。

 

以前取材した人にネットで出会った人と付き合っている10代の女の子がいた。その子は学校の男友達や、ネットで知り合った人にセクハラまがいをされ、一時男不信になったそうだ。そんな話を、30代後半から40代前半くらいの同業者と映像を見ながら話していると

「自分の子供がネットとどう付き合うかとか、どうしていいかわかんないですよね」と不安を吐露した。私はそれにたいし、

「うーん。でも、自分が子供の頃やったみたいにすればいいのかなーとは思いますし、私ビビリだから怖い思いもしなかったけど、その子の感受性いかんではヤバいところまで行きますもんね。親としてはやきもきしますよね…」と答えると、同業者は驚いたように私を見て「え、10代のころネットあったの?」と驚かれた。

その同業者とはたぶん私と10歳も変わらない。だが、ネットへの見方はどうやら大きく異なるようだった。

 

80年代生まれの私はデジタルネイティブのはしりだ。高校生の頃からコミュニケーションツールとしてネットに触れていた。もちろん、今の10代のようにネットが完全に物心つく前から身近にあったわけではないが、地域コミュニティ以外の人間とのやりとりが始まるのは10代前半、その頃にはじわじわと生活の一部にネットが浸透しており、タイピングや、ネット検索の仕方は学校で習った記憶がある。そのせいか、ネットなしで、誰かとコミュニティをとっていた記憶がかなり曖昧である。

友達との待ち合わせはメールで決めて、到着場所もいなかったら即電話orメール。

オタク活動の一環でホームページを作ったり、(ロリポップで安いドメインを取得しようと思ったが親バレがいやで無料のジオシティーズを結局使ったり)タイピングの練習で、朝方まで知らない人とチャットをしていた。(当時は通信料の都合で、22時以降じゃないとネットはやればやるほど金がかかった)

初めてできた恋人とのやりとりはケータイメールでのやりとり、ケータイでの通話、長電話の時はmsnのメッセンジャーでのメッセージチャット、スカイプの音声チャットを使って通話をしていた。

SNS(しかも当時は匿名が当たり前だったし)の概念にしっかり触れるようになったのは大学生からだったが、多感な学齢期には今のネットとの付き合い方のほぼ原型を学習していた。

 

書いてて思い出したが、サークルの同級生10人となぜか合同のケータイブログをやっていて、ぐちったり、就活報告したり、ネタあげたりしてた。クローズドでもなかったそのサイト。

メンバーの一人が会社の愚痴書いてるの上司にバレて、削除されてた。

今は彼らとはライングループ作っているが、飲み会や結婚報告くらいしか呟かれない。

若者のライングループやツイッターの合同アカみたいことわたしもやってたやないかと思い出して、愕然とした。若者よ、恋人ツイッターアカとかバカにしてごめん。

 

その本や上の世代のリアクションを見ると、ネットがない時代、人とどうやってコミュニケーションをとっていたのだろう?と不思議になる。同人活動サークル活動、はネットがなくてもどんなふうにやればいいかは想像できるのだが…(いや、だがメールもない時代どうやって打合せをしていたんだ?親バレしまくりやないか?)

 

ちなみに私は同人活動で知り合った京都の女性と長年文通していた。きっかけは、同人雑誌の文通友達募集だったような気がする。

今同人界ではどうなのだろうか?どんなペンでどんな便箋で送るか?そんなことを考えるとなかなか面白いものだった。

あ、海外のpen palとは、もっぱらメールだったが、それはそれでクソ楽しかったから、まぁ、紙でやりとりする必要なんてないのかも。

 

 

あれ、なにいいたかったんだっけ?デジタルネイティブの走りの思い出話に終始したが、ネットってのは人間コミュニケーションの仕方にきっと巨大なインパクトを与えたのだろうなーということ。でもきっと本質は変わってないとは思うのだけども。結局大量の人と交流できても、記憶に残る人なんて一握りだし。