育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

本気でモラトろうと思う

本気でモナトろうとおもう=本気でモラトリアムに入ろうと思うと思っているのです。

別に、具体的にやりたいことがあるわけではないのですが、やっぱり、

自分の中でテレビの仕事を続けていこうという気がないと気がついたわけです。

 

ずっと思っていたことですが、

メディアの仕事は片手間でやるのが正解なんじゃないか?と思っているのです。

今のテレビ番組の無駄なこと…もちろん、天気予報や、日経平均など気象や経済に関するネタは、それなりに必要にしている人はいると思います。

でも事件報道って毎日やる必要がないと思うのです。平和な日だって放送しているわけだから、たまに、九州の青少年のノーヘルでの事故報道とか、ニュースバリユーが確実に低いニュースが流れてくるわけです。まあ、今日は平和だったんだなと、確認ができていいんですけどね。

バラエティなんて、ハレの日を毎日にしてしまっているわけで。もちろん、孤独な老人や孤独な専業主婦、子供にはぴったりかもしれないけど、毎日がお祭り騒ぎである必要はないし、そんなことばっかりしているから、視聴者の目がお祭り騒ぎに慣れてしまって、どんどん派手になってどんちゃん騒ぎしていく。毎週SPをつけないと数字が撮れないような自体に陥る。

医療もの番組も乱立しているけれど、正直、同じ研究者、類似情報の焼き直しばかり。医学は日進月歩だけど、メディアが求める、視聴者が求めるほどのスピードでは進歩せず、最新科学は、立証にそれなりに時間が掛かるから、情報漬けの視聴者を唸らすほどのリリースから結構先にならないと、科学的根拠、エビデンスは立証されないわけで。

 

だからこそ、ドキュメンタリーを、と考えたわけだけども、ドキュメンタリーだって、それなりに時間がかかり、それ一本ではとても食べていけない、結局、なにかウィークリーでやる何かがないといけないわけで。そうなると、やっぱり、テレビ番組だけ、メディアだけで、生活していくのはやっぱり無理がある。新聞もまた然りだと思う。

だからこそ、私は、なにか他の仕事をやりたいと思っていて、そこから収入、生きる糧を得たいと思ってきた。しかし、そうなると、やっぱり、私は、テレビ番組制作を、趣味としか考えていないことになる。

私が前職場を飛び出したのは、仕事がつまらないからではなく、この仕事では食っていけないと判断した部分もあったのだ。だからこそ、30になる前、今、舵を切るのなら今だと思った部分もあったはずだ。しかし、そのころは、まだ業界に対する思い入れも強く、心残りもあった。でも、今は、もちろん、今もやりたい気持ちは捨てきれてはいないのだけど、それよりも、経済基盤を立て直したいという気持ちのほうが強いかもしれない。

あの頃は、まだ自分はなにかをなせる人物だと思っていた。もちろん、今だって、その気持はゼロではない。なにかを成し遂げいたいという気持ちはあるけれども、それは、周りの人間に評価され、尊敬されたいという気持ちの現れであって、決して何かを成し遂げたいという気持ちではない。

テレビ番組づくりに携われるのは、映像作りが好きな人、職業と割りきれている人、きっと、この仕事をやり続けたいという意思がないといけないのだ。私には残念ながらどれも持ち合わせていないのではないだろうか?

 

満たされていないのは、本当に必要なのは、認めて欲しい、仲間が欲しいということだ。

そして、手放したくないのは、テレビ番組を作るということではなく、テレビ業界に働いている自分と、職歴だ。そして、居場所。無職になって孤立してしまうこと、ただの無職の女だと言われたくないだけの話だ。

「ディレクター?すごいね」と人に言われたいだけで、ほんとうはこの仕事に未練なんてないんじゃないだろうか?埋めなくてはならないのは、収入よりも、テレビの仕事よりも、それ以前にぽっかりと開いてしまった、心の穴ではないだろうか。

それを埋めるために必要なのは、テレビ業界を続けることではなく…なんだろう?

 

もう少し時間をかけて、それと向き合っていきたい。

いつまでも、いつまでも解消されることはなく、真綿のように自分自身の人生を歪めてしまうことになりかねないから。

もちろん、だからって仕事をやめることはないけども、でも、仕事が心を不安定にさせているのなら、排除しなくてはならないと思う。