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育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

表裏一体感が半端ない

ちょいと前に似て非なるもの? - 育て直し(自分を)で書いた、この本↓

減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)

減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)

 

 何がうーん…と思ったかわかった気がする。

強烈な排他性だ。

もちろん、明確に排他的ではないのだが、「ホンモノを食べろ」「社会を変える」「仕方ないと言わない」とか、ちょいちょい現社会を悪と言わんとする表現が散りばめられている。現代社会のシステムから降りることを勧めるのが自分のバーの使命だと明言もしている。

ダウンシフターは素晴らしいことだと思う。私もそうであっていいと思うし、私なりの生き方を模索しようとも思い、日々悶々としている。

だが、現代社会は良くないとか、社会を変えよう!とか言い出して、自分に共感できない人は間違っているという論調は、「ダウンシフターなんてけしからん」「1つの会社で勤め上げ、税金を納める人間こそ正しい」という旧態依然の排他的な考え方がクルッと反転しただけなんじゃないかな?という気がする。

私は社会は多様であるべきだと思う。

多様性を失った社会は、生きづらいし、社会として柔軟性を失い、崩壊のリスクが高いと思う。自然界も人の体も街もそうだ。食べられる獲物が1種類しかない動物はその種を食べつくすと絶滅してしまうし、食物連鎖のバランスも種の多様性が損なわれると大きく崩れる。人の体も栄養素がかたよることで不健康になる。街も、多様な年齢、性別が存在することで、消滅せず持続的な自治が行われていく。

ダウンシフターという思想は素晴らしい。だが、それだけでは息苦しい。働くことが大好きで、寝食を忘れて仕事だけしかやりたくない人だっている。そんなに人にとって、全部自分で衣食住を整えないといけないダウンシフターはしんどい生活スタイルだ。

いろんな生き方がある社会、それは生きる選択は多様な社会、きっとそのほうが人は行きやすい。

そして、著者のいうホンモノとは定義が曖昧だ。オーガニックで作られたものや、昔ながらの製法でつくられたものをさしているようだが、ブロイラーなど大量生産されたものにたいし、それを偽物というのは失礼極まりない話ではないだろうか。効率的に作られたって命には変わりない。大量生産されているからすべからく貧乏人にも効率よく栄養摂取できるチャンスが与えられたのだ。工業化は過剰になりすぎて今や悪といっても過言ではないが、工業化し、効率化したことで、現代人は健康で長寿を得られていることは間違いない。簡単にニセモノとばっさり切り捨てるのはあまりにも、人情味がない話だなと思ってしまった。

ナリワイの伊藤さんと本当に言ってることはほとんど違いはないのだが、ナリワイはあまり排他性がない。変な言い方なのだが、ナリワイには社会に対して恨みがないのだ。

高坂さんの文章には社会に対する恨み節がそこかしこに感じさせる。対抗意識とでもいおうか、マジョリティになってやろうという気概とでもいおうか。その野心に危うさをどうしても感じてしまう。

 

どうでもいい話だが、高坂さんのビジネスが成功した理由はどこにあるのか?高坂さん自身ちゃんと分析をできていないような印象があり、そこももやもやした。「トイレ掃除をした」とかなんとか、なんだか精神論的な事が多くて、そんなわけないやろと。

答えをくれたのは元ワイキューブの社長 安田佳生さんの無料メルマガ。ビジネスアイデアのメルマガのようだが、安田さんの常識にとらわれない、ちょっと変化球な視点が好きで、購読している。先日のメルマガ曰く、「バーが提供しているサービスは、徹底したこだわり」だそうだ。それを読み、なるほどと膝を打った。高坂さんが成功したのは、スモールビジネスということもあるだろうが、徹底したこだわりに鍵があったのだ、と。徹底したオーガニック、徹底したスモールビジネス、徹底したセルフビルド。お酒へのこだわりではなく徹底したライフスタイルのこだわりに、客が引き寄せられるというビジネスモデルということではないだろうか。

盲信できる彼のキャラクターへの魅力が、顧客の心を掴んで話さないのかもしれないなーと思った。

まあ、取材したいかといえばあんまり興味は持てない。興味のあるテーマなのに、なぜ全然琴線に触れないか、その辺は自分でもよくわからないが…。