大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

自分が作りたいと思っていたものを思い出してきた

先日、取材した女性が偶然にも私と似たような経歴の女性だった。

5年勤めた28歳くらいでテレビ制作会社を辞め、これからは自分で作っていく。テレビはもういい、ネットとか自主制作映画とか作りたい。

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うわっ!同じ!彼女の話を聞いていて、20代後半の切羽詰まった想いを思い出した。

私は、自分がやった手痛い重大なミスと、その後発生した震災でのマスコミや行政の国民への対応で強烈な不信感を持ったことが最大のきっかけになって仕事をやめたのだが、結局テレビ業界に舞い戻ってきた。一人で何かができるほど器用ではなかったし、誰かを巻き込めるほど自分の実績に自信がなかった。

ネットで何かをする、と言っても、テレビ業界と違って一からネットでの地位を築いていかなくてはならないわけで、よっぽどテレビ番組に企画持っていく方が、楽だし、予算ももらえるし、私自身の広報の努力がなくても大多数の人に見てもらえる…しがらみや局のプロデューサーの意見は、うざったいけど、ある種、その分野に対して興味も知識もない一般の人の眼差しに近いのだから、いずれはその冷たい意見に戦わなくてはならないのだ。

そう気がつき、また、一緒にテレビを作ろうと言ってくれる仲間を得られたこと、私のペースで私のやりたいことをやらせてくれる環境にあることで、私は改めてテレビ番組を作ろうという気持ちになったのだ。

彼女がどんな道を進むのかわからない、私よりよっぽど社交的で、人を巻き込むことがうまく、行動的な彼女だから、私にはできなかったきっと全く違う道を切り開いていけるのだと思う。

 

ただ、彼女と話をしていて、作り手としてのスタンスがだいぶ違うなーと思った。かなりジャーナリスティックな場所で育った彼女と、フジテレビ系列の情報番組の色が強い現場で育った私。彼女が言う企画や、彼女が愛する企画は「それ映像である必要、どこまであるの?」というものだった。私は「ナレーションは添え物、映像でまず伝えなくては伝わらない」ということを学び、今もカメラマンの下で映像を作っている。

「まず絵としてストーリーを成立しなくては」「エンターテインメントとして面白くなくては」

そんな思想のもと作っている。私のほうがよっぽど下世話だが、人はテレビにどこまで高尚さを求めているのだろうか?

私は元々NHKとかの暗い見ているとどんよりしているドキュメンタリー番組が嫌いだ。辛いから。それが正義なのだとは思えなかった。もっとドキュメンタリー番組だってポップな音楽を使ったっていいし、笑いがあってもいい。

現場音だけで、暗い現実だけ見せられたVTRじゃ、ご飯食べながら見る気になれないし、仕事帰りの疲れた頭では見ることがどこまでできるのだろうか?

ドキュメンタリーがもっとエンターテインメントでいいはずだ。もっと、明るい気持ちで見れるものであっていいはずだ。

子供のころから、バラエティ番組ばっかり見ていた私。お涙頂戴なんてくそくらえって思っていた私。

そんな私だから、目を背けたいと思ってチャンネルを変えられてしまうような番組でも「おもしろww」っていって、ついついチャンネルと止めてしまい、気が付くと深いことを考えざる得なくなる、そんな番組をつくれるはずだ。

人間なんて結局一皮むけばどんなに辛い環境だろうが、愉快な環境だろうが皆みんな、間抜けな生き物なのだと思う。

そんな人間の悲しさ、間抜けさを「ああ面白いな、人間っていいな」ってすかっと笑い飛ばせる爽やかな番組を作りたい。…いや、別に番組だけじゃなくていいんだけどさ。そういう映像作品を作りたい。

書籍で良くね?っていうものではなく、映像だから伝えられるもの、深刻なテーマこそ笑い飛ばせるもの、そんなものを作っていきたい。

って、就活の時思ってたな。

 

例えばこんな作品とかいい↓

北欧の知的障害者のバンド、社会や施設への不満をパンクの曲に載せて歌う彼らの姿が自分の心のなかに眠る社会への不満と不思議と合致して、妙な爽快感を与えてくれる。

障害者同士で罵り合う姿は健常者のそれと全く同じで、ユーモラス。障害者という日本ではまだまだ重いテーマがニヒルな笑いに昇華される良作。