大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

江戸時代から見たら遊んでるようなもん。

そろそろ仕事をしなきゃと思っている。というか、もう現状維持で収入だけ確保する生き方をしようと思い始めている。

目が覚めてご飯食べて、ゲームして、テレビ見て、晴れたら洗濯干して、晴れたら掃除して、晴れたら走ってって生活してる。旦那がお金を運んでくれるからできているニート生活。ありがたいけど、やっぱりこのままじゃ彼が過労死しそうだし、これを持続可能な生活、かっこ良く言えばサステイナブルな生活とは到底いえない。

仕事は、生きる、食べるためにするものだ、と最近特に思う。今、私達が「働く」と言っているものは、たぶん、50年、100年、200年前の働くとはたぶん似て非なるもの。江戸時代の農村だったらむしろ、今の仕事は「遊んでばっかいないで、ちったあ働きなさい」と言われるものじゃないかな。江戸時代はかなり貨幣経済が発達しているとはいえ、食料を創りださなくても食っていけるほど豊かな社会ではなかっただろう(農村となれば特に)。第二次、第三次産業は、食っていくために絶対不可欠なものではなかったはずだ。

江戸期の人からすれば「働かないで食っていけて、平成の世の連中は幸せだなー」と言われてしまうような気がする。そう、今の社会は最貧困層でも、江戸期の最貧困層に比べれば、言うまでもなくものすごく豊かだ。ホームレスですら、豊かだ。

 

なのに、生きていけないから、とか、娯楽レベルの仕事なのに、過労死しちゃうレベルまで働くとか、たぶんすごくおかしい。もちろん、将来は不安だし、いろいろ考え始めると全然動けなくなるけど、どうあがいたって、今の時代は、江戸、明治、大正、昭和の時代に比べれば本当に豊かになっているのだから、落ちる所まで落ちたって、なんとか生きていける。最低限生きていくためのことを考えて、その上で、仕事を娯楽と割り切るぐらい気楽に生きたってなんとかなるんだと思う。

 

今は、食っていくための基盤をちゃんと作った上で、やりたいと思う労働をしようと改めて思う。食っていくための基盤はどれほど必要かわからないけれども、その上で、片足テレビ屋でいいんじゃないかなって。

最近出会った人に、自分が45歳になった時どんな生活をしたいかと考えてみるといい、と言われた。

私にとってそれはすごく思考しやすい考え方だ。もちろん、今やりたいことをやってきたのだが、目標がないと別に今やりたいことがよく分かんなくなる気がする。まあ、45歳って、今の私からすると14年後、先すぎてちょっと想像できないけど。

 

旦那と2人で生活を中心にしたライフスタイルができる環境を作った上で、余暇のように働けるように、考えていこう。