大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

結婚とは何か?を考える

義両親と同居して、ふと気がついたことがある。

今まで夫と結婚してから結婚したことの窮屈さとか感じたことなどなかった。

 

私は夫とルームシェアをしていたんだろうなということ。彼と私は同じように生活リズムが破綻している。だいたい朝方まで起きてるし、朝は起きられない。2,3日家に帰ってこないことに対しても抵抗感がない。基本的にはお互いテレビ業界にいるので、しょうがないのだが、ともかく、お互いがお互いに、自分のペースで生きている。家族の時間というやつがほぼ皆無だった。

だが、両親と同居して「朝ごはんは食べなさい」という圧や「お風呂はご飯を食べたらすぐ入りなさい」という圧が発生している。

家族のリズムというものを考えるとそれは正しいことなのだが、私達夫婦は、そういうリズムが特になかった。

別にいいかなと思っていた。

寝坊をした夫を見た母が「起こしてあげてね」と私に言う。私も気がつけば起こすが、別に、あなたが気にすることじゃないんじゃないですか、と思う。親心はもちろん分かるが、そんなもの自己管理すればいいだけの話だ。

ああ、これが家庭をもつことか、と思った。

家族とは、リズムがある。ルールがある。

私達2人で暮らしているときはお互いのリズムには干渉しないという不文律のルールがあった。だが、家族が増えるとそうも行かない。同じ家にバラバラの生活リズムをもった人が暮らすには、やはりある程度の規律が必要なのだろう。

たぶん、結婚ってこういうことを言うのだろう。正直、私は結婚に向かない人間なんだろうなと思う。義両親はかなり寛容な人で、嫁、として何科を求められるということはない。心から感謝しているけど、やはり、他人の生活リズムに巻き込まれるのは、正直うざったいし、息苦しい。私が自由人すぎるのだ。

 

ただ、夫も両親も妻としての性役割を私には決して求めてこない。した方がいい、など言われたり、してほしいのだろうなと思うことはあるが、強要はしてこないのだ。優しさと、申し訳無さで腸がねじれてブチ切れそうだけど、結婚とは、たぶんそういうものなのだろう。だからこそ、結婚は息苦しいし、皆疲れてしまうのだと思う。