大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

男性が生理を語ることに感じる漠然とした警戒心

mainichi.jp

この記事を見て、思い出した。毎日新聞購読していないからちゃんと読めていないけど、生理用品について男性が論じることにふと、心の底で、妙な不安が立ち上がってしまう。でも、妙に発言しづらい。人の体を知ることは大事だし、決して悪いことじゃないからだ。あと、この流れを止めるのも良くないとも思う。ライター諸氏にはぜひ頑張ってほしい。だけど、言葉にしづらい違和感を、どこかにずっと吐き出したかった。

 

gendai.ismedia.jp

 

ライター夫婦の仲睦まじい関係性は別として、漠然と思う一言がある。

「え?気持ち悪くね?」

である。

もちろん、記事中に、パートナーシップが改善された、とか、相手のしんどさが理解できたとか書いてあって、もう、すごくいいことだと思う。相手の体を知ることは大切なのだと思う。でも、なんで、他人に、自分の体のことをいちいち報告しなくてはならないのですか?という、素朴な違和感がある。「生理は恥ずかしくない!」「もっと男も生理を知ったほうがいい!」と称賛する自分自身をずーっと、「うーーーーん」と腕組みしながら拒絶しているもうひとりの自分自身って感じだ。

よくわからないけど、これってすごい危ういよなぁと思うのだ。心の奥底で、どうしても、「女の子は守らなきゃくちゃいけない」という共通ルールの上で、話が全部進んでいるような気がして、どうしても気持ち悪いのだ。

なぜ、なんの批判もなく、好意的に受け入れられるのかが全くわからない。このライター夫婦のパートナーシップのことはいいと思うのだ、もちろん。

だが…女性の体ってそんなに特別なんですか?女性ってそんなに守らないといけないものなのですか?女性の体を男性がいちいち見守る、干渉していることが、なぜ誰も気持ち悪い、と思わないのですか?と思うのだ。守るべきは「女」ではなく「弱っている人」、でしょ?と。

男性にとって「生理」は神秘だろう。性器から血が出るなんて、それはなかなか驚異的なものがあるだろう。だけど、男性期から、快楽の絶頂になると白い液体が出る、というのもなかなかの神秘だ。しかも、性器がメンタルの具合と密接にくっついていて、大きくなったり小さくなったり、勝手に動いたりする、なんていうのもめちゃくちゃ神秘だ。女性の体が繊細であるように、男性の体も繊細で、神秘だ。

 

生理痛で死ぬほど苦労する人もいれば、EDで人生に絶望して死ぬほど苦労する人もいる。知るべきは「女」の体、「女」の苦しみじゃない。「人」の体、「人」の苦しみのはずだ。

 

身体をネタにするのは、いいと思う。男性の早漏をネタにしたり、童貞や非モテをネタにした漫画はいっぱいあるから。生理だって、同じだ。病気に結びつくこともあれば、ギャグになるものもある。男性器と同じように女性器もまた、逆からシリアスまで様々な顔を持つ。

 

男性が生理について発信するのは全然悪いことじゃないと思う。むしろいいことだろう。生理は恥ずかしいことじゃないし、もっと恥ずかしくなく語れる環境になればいい。まっとうな大人であれば、生理を恥ずかしいことと受け止めることはない。

 

人の体を知ることは大切だ。だけどそこに、「女の子は守ってあげないといけない」というルールがあっては、いつか「女な複雑で繊細だから男が気を配って管理してやらないといけない」となって「女は弱いから、男が管理してやらないといけない」は、いずれ「男が女を支配していい」と、結局戻っていってしまうように思う。誰も誰の体も、心も、性別を理由に支配、管理なんてしちゃいけない。女の体は常に弱いわけじゃない。逆に男は常に強いわけじゃない。

手放しに、女性を崇拝することは、支配につながると思う。その気持ち悪さをなぜ誰も口にしないのか、その異常さに私は気持ち悪さをずっと感じている。

社会的に女は弱い立場にあるから、守ってやらなきゃいけない、も、筋違いだ。違うよ。社会的に弱い立場に追いやられるのは、必ずしも女だけじゃないよ。社会的に弱い立場に追いやられても、その人の変えられない属性で守る人、守ってやらなくてもいい人って選別するのが良くないんだよ。と私は思う。

 

生理のギャグ漫画と対となるのは、チェリーナイツとかじゃないかなーと思う。マジくだらないけど、かわいくて好き。