大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

アダルトチルドレン的特技

毒親、機能不全家族で育った人にとってはあるあるな気がする。

私は感情を表に出さないという特技を持っているようだ。

企画のプレゼンなどする時、お腹も下してるし、食べ物が喉を通らない、手が震えるってほど緊張していても、全然顔に出ないことがある。

「死ぬほど緊張しました、局の方にバレバレでしたよね…!」と上司に言うと「え?緊張してたの?落ち着いたもんだったじゃない!」と言われて驚いたことがある。

プレゼンははったりが大事なのに、もう、目は泳ぐし、手は震えるし、発言が飛ぶしで、もう凹むレベルだと思っていたが、外見からは意外とおちついていたようだ。2,3回そんなことがあり「あ〜自分が思っているより顔に出ていないんだな〜」と感心したことがある。

 

元々は感情豊かな人だね、とよく言われるのだが、まあ、それも意識して表情豊かにしているところもある。だから疲れる。

 

ふと思い出したのだが、子供の頃からその辺は訓練されていたような気がする。

父は暴力を振るう人、というか、父方の一族の叱り方は激しくて、怒られる側の一挙手一投足がすべて爆薬となり、彼らの怒りの炎を激しく燃やす。

何かで怒られることがあった際、一瞬でも嫌な顔をすると「文句あるんか、いうてみぃ」となぜ見逃さなかったんだ…!という洞察力で見ぬかれ、何を言っても怒られるので黙っていると、父が推測して話し始め、ちがうなーと顔を私が歪めるとその揚げ足をとられまた怒られるという、こちらはゼロリアクションでただ、私は100%で悪いです。私はクソです、死んだほうがいいです。貴方様がいうことが絶対です、あなたがいうことを守れなかった私に生きる価値はありません、というレベルで謝罪を求められる。

口答えは一切許されない。

ただ、まあ、1対1はまだいい。教育の範疇だろう。

そこに母が入る時は絶対に気を緩めることができない。暴力、暴言の材料に子供を使われるからだ。私が何か彼の目に入る目立つ動き(目の前で暴言を浴びせられている母をかばうようなこととか、二人の様子を不安そうにみるとか)をしてしまうと「ほれ、見てみい、おのれの教育でガキがこんなことになっとるわ」とまた暴言の材料にされてしまう。

夫婦のトラブルに際し私がとれる最良の方法は無関心だ。絶対に2人を見ない。何事もないように普段見るテレビを見る。呼吸や動きを乱さない。母に同情的な態度をしない。(母が発狂状態になったらまた別)

ポイントはすべての感情に蓋をして、表情を作らないことだ。

そんな訓練をずーっとしてきたので、感情を乱さないトレーニングはけっこう得意かもしれない。

 

そういえば、兄もそんな表情をする時がある。完全な無表情。まあ、それを私にする時は「お前とは俺は関わりたくない。お前の存在が気に入らない。俺の目の前から消えろ、目障りだ」って意味なんだけど。