なんでこんな生き方を選んだのだろう
好きではじめたことなのだが、考えてみればドキュメンタリストとして生きるというのはしんどい生き方だと思う。
同じ映像作家ならば、別に人の人生に深く関わり、傷つくことを厭わないこんな題材を選ばなければいいのに、と。
バラエティだったり、ドラマだったり。
会社員を辞めた時に思ったことがある。
「テレビに素人さんを写すということは、その素人さんに絶対的に覚悟を求めないといけない。どんなネタにせよ。
全く見ず知らずの人に顔を晒すことになるのだから。
だからこそ、私自身が社会に意味のあると思えるネタ、社会的意義があるネタでないと絶対にやりたくない。
『あなたじゃないと、このメッセージは伝えられないんです』と口説けるものじゃないとダメだ」
と。
その結果がこれですよ。
覚悟を求める以上、顔を晒していただく以上、それ以上の覚悟を私は持たないといけない。それが責任というものなのだろう。
まあ、でも、これは、ドキュメンタリストだけではない、社長という職業にもいえるだろう。取引先の家族、従業員の家族を支える。製品を世に送り届ける。すべてに責任がある。その重圧に気がついた時に、おしつぶされないような強さを持つこと、自分を信じること、それが一番大切なんだ。
テレビ番組のディレクターも、経営者も本質は同じなんだよな〜。
テレビ番組を作りたい、テレビの前で、テレビしか救われる道を知らない人が、そのチャンネルを見た時「ああ、こんな風に生きている人がいるのか」と一縷の希望を持ってくれる、その視聴率の先にいる、地獄の中で、必死に生きている人が明日を歩むためのほんの少しの原動力になることだけが、私の望みなのだから。
そのために、テレビドキュメンタリーという修羅の道を歩んでいくしかない。
お腹痛いけど。腹くくっていこう。↓これ書いたあと思ったので
今朝食べた卵焼きがゲロマズだったことと、その後から腹痛に襲われてトイレに定期的にこもっているこの2つの事象は相関関係があるのだろうか。
— ちゃんまる (@kazyossann) 2015, 8月 28