大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

子供時代の私の性的アイデンティティを振り返る

子供時代の私は、たぶん、トランスジェンダーのそれに匹敵するものがあるんだろうなと思う。

ただ、それをわんぱく、おてんば、男勝りの女の子の枠以上にはならないと思えてならな。

ちょっと色々思い出してみようと思う。

子供の頃、とにかく身体を動かすのが大好きだった。幼稚園のころ、園庭で、逆上がりやバク転など、自分の体の限界に挑戦するのが好きだった。親に連れられていったスキーも怖がらずにどんどん滑っていた。

男友達と自転車レースやサッカーにも興じていた。

ターザンに憧れた私は、カーテンでターザンごっこをしようとしてカーテンレールを壊したり。

だからといって、女子と遊んでいなかったわけでもない。お絵かきは大好きだったし、人形遊びもしていた。シルバニアファミリーやリカちゃん人形の、なんとも言えない可愛さにどこか恐怖を覚えていたようにも思うのだが、それでもおもちゃに、ごっこ遊びに、女友達と遊んでいた。

アニメはビックリマンや、ワタル、NG騎士ラムネ40など、世界を救うヒーローものに夢中になった記憶がある。戦隊モノも好きで、よく見ていた。

だが、だからといって少女漫画が嫌いだったかというと、そうとも言い切れなかった。女性キャラクターに共感できないかというと、そうでもなかった。ゴーストスイーパー美神という、ライトセーバーのような武器で、妖怪幽霊をぶった切っていくボディコン美女に夢中になったし、自分自身を投影するような憧れとともに、足蹴にされて罵られたいという憧れも抱いていた。

クリーミーマミが大好きで、アイドルになりたいとも思っていた。

幼稚園の頃の将来の夢は、お花屋さん、アイドル、ニュースキャスター、戦隊モノのヒーロー、なんかもう色々ぐちゃぐちゃだ。皆がいいなーと思うものに素直に憧れた。だけど、戦隊モノへのあこがれは、すごい強かった。なれないことはわかっていたけど、あんなふうに宙を飛んでみたい、かっこよく見栄を切ってみたい、世界を救いたいと思っていた。(当時は女の人もヒーローキャラにいたしね)

男性的なもの、女性的なもの、どちらも等しく愛していたように思うのだ。だからこそまわりから「生まれてくるまで男だと思ってた」とか「4人目は男の子」(4人兄弟の末っ子)と言われながらも女の子として見られてきたのだと思う。

 

だが、女扱いされることは、子供ながらに好きじゃなかった。

私は幼稚園の頃二人称が「あなた」だった。正直、人の名前を覚えるのが苦手だったし、思い出すのも苦手だったんで、とっさに「あなたさ」と言っていたのだ。

それで「夫婦かよ!」「嫁かよ!」的なことを指摘された記憶がある。それが無償に恥ずかしくて「お前」や「あいつ」など、粗野な言葉を使うようになっていった記憶がある。

あるきかたも、私はどうもくねくね腰?尻?をふって歩いていたらしいのだが、「くねくねしてて気持ち悪い」というようなことがあった。私はくねくねしないであるこうとして、結果的におっさんみたいな歩き方に。

 

女みたい、と言われるのが、嫌で仕方がなかったように思う。いや、こうやって文字に起こしてみると成熟した女性扱いをされるのがいやだったのかもしれない。

 

もう少し大きくなると、身体がドンドン女性の体になっていった。

たぶん小3の頃だと思うのだが、テレビでみた両性具有の人を見て「私、それなんじゃないか?」と思ったことがある。うまくいえないのだが、ちんちんが生えていないことに、立ちションができないことに違和感があったからだ。

 

だが。小4の時、早くも生理になってしまった。親は赤飯を炊いてくれたが、私は侮辱されたような気持ちにしかならなかった。ただただ、自分の体がおぞましかった。

だから、学校では誰にもそんなこと誰にもいえなかった。「生理になった?」とか、女子同士で話すのだが、私は頑なに「まだー」と言い続けた。たぶん誰もが生理になり「生理になった?」なんて効かなくなるまで私は自分が生理にすでになっていることを隠し続けた。

だが、高校生ぐらいのとき、生理であることを押し隠すのは、かっこ悪い、男らしくないんじゃないかと思い、生理用の入った袋をブンブン振り回して歩いてたら、どうかと思うとドン引きされたが。

 

時を同じくして、胸が大きくなってきた。胸が大きくなるのがいやで必死で胸をつぶそうとしていた。叩いたり。刺激のせいやもともとの肌の弱さが相まって、痒みも増したのか、私は自分の胸をかきむしった。かきむしったり、叩いた所で、胸がなくなることなんてないのはわかっていたけど、かゆみには耐えられず、いつも血だらけだった。

ブラジャーをつけることも拒絶し続けた。ブラジャーは女の象徴、あんなものはつけられないと。だが、そんな複雑な胸中の第二次性徴期の肥満女児を見かねた女性の先生が、ブラを付けなさいと言われたときは屈辱感で死ぬかと思った。

 

中学、高校では、制服を着た。正直いうと、制服は嫌いではなかった。服を選ぶ煩わしさから開放されて最高だなと思った。ただ、絶望的に女子制服が似合わなかった。中学はセーラー服だったが私は、肥満児で、男顔で、毛深く、体格もよくしかもメンタリティが男と来ているから、まじで、ちいさい、小太りの口の周りうぶげの髭面、眉毛繋がってる手足の毛、頭の毛ボーボーのおっさんが制服を着ているみたいな残念な仕上がりになるわけですよ。

高校はブレザーだが、肩幅もあるから、どう考えても女装にしかみえなかった。どう考えても、男子制服の方が似合うと思っていたけれど、そんな選択肢はないと思っていたので、着たいなんておもったことはなかった。ただ、肥満児で、男らしい自分の不格好さが恥ずかしかっただけ。(正直言えば、痩せれば女の格好が似合うとも思っていた。だが、実際大人になって痩せたものの、やっぱり女性の格好は女装感がでてしまい、かっこ悪い。サイズの問題もあるのだろうが(やせても筋骨の太さは変わらない)女性らしい格好は憧れはあるが、どうにも自分に似合うと思えないものがある)

 

しかも、さらに自体をより複雑に(というか外見を見にくく)させていたのは、ビジュアル系バンドにはまり、完全に厨二病になっていたのだ。清春になりたい、清春の嫁になりたい、その一心だった。(文字にしてみると2つの相反する願望があるが、その時は矛盾に気が付かなった)

写真のポーズは、片目を前髪で隠し、太い身体を隠すように斜めのポーズを取り、カメラをガンつける。これがオレの全力かっこいいだ・・・!と思って疑わなかった。私のかっこよくない?と、ガンつけた自撮りを友達に送りつけて「あ、あ、う、うーん・・・大丈夫?」というリアクションしか来なかったりしていた。

その後、おとなになって、10代の写真が本当にそんな痛い中二病な写真しか残っていなくて、マジで恐れおののいた。

もちろん、ギターの練習もしたが、子供の頃、ピアノをやっていたせいか、どうしてもギターの弦をうまく抑えられず、挫折した。(飽きたとも言う)

 

制服さえ着なければ、声さえ出さなければ、男子にみられた。それがなんともいえず嬉しかった。

人並みに電車が好きで、人並みに小林よしのりにハマり、人並みにナチスにハマり、人並みに愛読書SAPIO、諸君!と順調にイタいオタク男子のメンタリティを隠し持ちながら、東京へ。

大学生になり、そんな自分はさすがに痛すぎると封印した。その後はモテたい一心で必死で女子力を磨き、挫折し続けた負け犬人生を送る。

30歳で「中二病だったあの頃、あれが俺たちの本性だから、あのときのリビドーを大切にしていい」と、人に言われるまで、私は自分の思いをひた隠しにしてきた。

 

うーん、なんだろうか。書いてると途中から、性別とかよくわからなくなってくる。ただ、見た目的な問題も在り、10代のころは男子から女子扱いされることなく、男子とはエロゲーや、クソゲーの女子をおかずにヲタトークで盛り上がるたのしい日々を過ごしていた。女子とは、ゲームの話をよくしたり、好きな男の子の話にも花を咲かせていた。女性の世界ではもてない女として、男性の世界では名誉男性的なポジションで、一人のキモオタとして、私はそこそこ居心地が良かったように思う(絶望的にもてなかったけど)。

自分の肉体が女であるという問題以外ではさほど困らなかったのだ(いや、モテなかったという問題も強いけど)。やはり、女性として社会的に生きにくいというのは、社会に出てからのほうが圧倒的に苦しめられた。

 

男としてストレートに生まれていたら悩まなくてすんだのだろうけど、まあ、女として生まれたからこそ、社会の問題に気がつけた部分は大いにある。男だったら、私はいつまで童貞だったんだろうか。たぶん、絶対モテナイ。中学生の頃は、男に生まれたら絶対女にモテたと思っていたが、性格の悪い差別主義者で女心のわからないキモオタを、誰が好きになるというのだろうか?

そう考えると、女に生まれてよかったのかな、とも思うが・・・。