抜けてきた
ここんところ、忙しさが相まって、強烈な自己嫌悪と予期不安に悩まされてきた。
存在が恥ずかしい、皆に見下されているんじゃないか、また失敗するんじゃないか、皆が私をばかにしている、あの人の目が怖い、影で何言われているか…。
怯えに怯えまくってた。
が、ここ数日ちゃんと寝れて、セオリーが全く違う映像コンテンツに触れたり、ツイッターとか見たりしててなんか、抜けてきた。
もちろん、自分のクソっぷりには、うんざりしているんだけど。
きっかけはしっかり寝たからか、よくわからないんだけど、借金玉氏の新書のブログページを見ていくうちになんか、すっと抜けた。
引用しようかと思ったんだけど…、ひたすら新書の目次を読んでいたら突然、
「ていうか、私のこれ(人から非難される特性)は、たぶん一生変わんないし、むしろこのクソみたいな特性があるから、できることもあるよなー」と、常日頃から思っていることなのに、なぜか、腹に入ってくる感じがして、すっと救われた気がした。
読み返してみるとたぶん、書いてある事、私結構出来てるな、読む必要ないな(読むけど)と思えるような自分なりの工夫がふっと頭の中をよぎったのだ。それでも、そんなものがあってもやっぱり辛いし、楽になれるのなら、とは思うからもちろん、救いを求めて読むのだけど、でも、私はそれなり頑張って生きているんだって思えたのだ。
どんなに頑張って生きていても、私は大手企業で勤め上げられている人と比べればやっぱり「クズ」だし、彼らと対等に勝負しようと思ったらクソでしかない。彼らと正面切って戦っていたここ数日だったから、死ぬほど疲弊したけど、でも、まあ、よくやってるじゃん、私。って思えたのだ。
なんでかな。
たぶん、単純に、寝る時間が増えたからだと思う。
それにしても、下手に文章にしようとすると、落ち込むな。私の持っている語彙ではありきたりな「それでも頑張って生きていく」という言葉にしかできなくて、「それが辛いんだバカ野郎」という気持ちになってしまう。
文章化すると、自分がいかに自分を見下しているかが見える化してしまう。
私がたぶん、参考にすべきは尊大なおっさんだ。
時々「どう考えてもお前に否があるだろ」と思うような状況で「あいつは無礼だ」と起こっているおじさんを見て
「この人、この状況で一切の反省をしないってすごいな…」と感心してしまう。もちろん、心の中で反省点はたくさんあって口に出さないだけかもしれない。だけど、相手への攻撃の言葉が浮かぶだけ、それは健全なんじゃないかなと思う。私は、誰かと対立状況になると、相手と一緒に自分を責めに責めてしまう。
もちろん、反省すべき点は多くあるのだが、それでも、「もう仕事しちゃいけないんだ」「社会人失格だ」「クソすぎてできる仕事がないから、今ここで、ガマンしないと、ここで頑張んなきゃ生活保護だ…」とか、思いっきり自分を追い詰めることはたぶん、普通しないんだと思う。
相手を責める言葉が思いつくのは、ちゃんと寝て、その現場から離れて、冷静になってからだ。そうでもないと頭の中が自分を攻める罵詈雑言で埋め尽くされて、頭が真っ白になる。(そしてどんどんポンコツになる)
…たぶん、これ、うつ病なんだろうな。とりあえず、思考回路が自分を責めるという方向性に自動操縦が始まるんだもの。
自分を責めすぎない、反省しすぎない、反省は必要だと思うけど、おそらく、そういう時、建設的な反省なんてできないから、そうじゃない方向に頭をもっていく訓練がひつようだと思う。いや、そうじゃない方向ってなんだよ。
たぶん、それを獲得しないと、たぶん、思考停止を止められない。