育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

アニメばっか見てる

最近、家に帰ってもやる気が起きなくて、アニメばっかり見てる。本当はモンハンでディアボロスを狩りたいんだけど、なんかうまく狩れない。下手くそだから、なんだけど、そもそもやる気も起きない。スマホゲームも、せっかくインストールしたヴァルキリープロファイルもやる気が起きない。

(最近、って言ってるけど、よくよく考えたら具合が良い時の方が圧倒的に少ないのだが。)

今見ているのは、鋼の錬金術師ゆるキャン△七つの大罪、東京喰種、くらいか。アニメも見たいものがいっぱいある。血界戦線グレンラガンエウレカセブン…。見たいと思う作品はいっぱいある。20代の頃、仕事が忙しかったのと、自立への志で、全くアニメを見なくなった。おそらく、アニメを見る体力もなかったような気がする。ゲームもほとんどやらなかった。

 

で、今、アニメばっか見ている。ちょっとどうかなと思う。でも、体力がないから、そんなにぶっ通しでみれないのだ。本当は一気見したい。

学生時代、私は映画をあんまり見るのが好きじゃなくて、著名な映像作家や監督が「学生時代は、映画漬けだった」とか言って、たくさんの映画を見ている逸話を聞いて嫉妬したものだ。私が見たいと思うのは、いつも、ばかみたいなアクションと、セクシーなおねえちゃんが出てくるような大衆的なアクション映画ばっかりだった。それか、ディズニー映画。映画をたくさん見て、勉強しないとと焦っていた。

だが、結局、私は映画はそんなに見ないし、ただただひたすらにアニメばっか見る人生なのだ。

今にして思えば、私はアニメばっかり見ていたのだ。それは、ある種私の強みなのかもしれない。もちろん、静岡県というアニメ過疎地に育ったせいで、見れなかったタイトルはたくさんあるが、それでも、テレビ東京が映るぶん、アニメは結構見ていたと思う。

アニメばっか見すぎていて、ちょっとさすがに大人として恥ずかしいのだが、でも、それが私の個性なのかもなーと。まあ、恥じることはないんだろうなと。まあ、見てるだけじゃあ何の役にも立たないんだけど。成功するか否かって結局、結果論なんだよなー。映画ばっか見ていなくても、映画監督として大成する人は大成するんだろうしなー。

 

ハガレン、顎のラインがしっかりしている作画も好き

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

 

 

朝起きられるようになりたい

発達障害の人と話していて、教えてもらったことだが、その方は、発達障害の薬ではなく、睡眠障害の薬を飲んでいるらしい。

睡眠導入剤と、睡眠を深くする薬。今まで、とにかく昼間の居眠りが止まらなくて、いつも眠い、朝起きられないということに悩んでいたらしい。薬を使うようになって、初めて、多くの人の寝覚めがこんなに楽なのだと思い知ったらしい。

 

ま、じ、か!!私は、睡眠障害を長年疑い続けてきた。

それは、寝ても寝ても寝ても眠いから。

なによりも、気持ちのいい寝覚めというものをほとんど経験したことがない。いつかどこか眠いし、毎朝絶望した気持ちになる。起きたくない、身体が重い、だるい、憂鬱、しんどい、ていうかもう死にたい。くらいな。

高校生の頃、自分にとって、一番1日で一番目が冴えている時間は深夜10〜2時だった。

最近は、加齢のせいか、眠くない、だるくない、身体が重くない、頭がぼーっとしない時間帯がない。

そんな発達障害の治療から睡眠障害に気がついたというその方の話を聞き、俄然病院に行ってみようかなという気になった。

その方はそれでもやっぱり眠くなってしまうし、仕事中にうたた寝をしてしまうらしい。

私は人がいれば、眠くならないし、10時間とか12時間くらい寝ていれば日中はなんとかうたた寝をしないで済む(日による)。・・・まあ、だいたい仕事が寝てる場合じゃないことも多いからかもしれないが。

私はまだマシな方かもな、とつぶやくと

「でも毎朝死にたくはなりませんよ?」と慰めてくれた。

そうだよな。毎朝世界を呪って起きて、絶望して、って、やっぱり辛いよな。朝が起きられるように慣れば、筋トレとかももっとできるようになるだろうしなー。そもそも体を健康にしようと思っても、仕事の時間ギリギリアウトの時間まで寝てるから本当に体調が良いときとか強制力が働く時にしか身体が動かせないんだよな・・・。

 

病院、予約してみよう!

 

 

mangobus.hatenablog.com

 発達障害を気に病んで2年前にも受診しにいった。が、この時は、妊娠を希望していたこともあり、薬はもらわずそのままに。何の解決もしなかったが、先生から「お前それでも仕事できてんだろ、何弱音はいてんだよ」って空気を出され、私はADHDとはいいきれないか・・・がんばるしかないなと思い、そのままにしていた。

でも聞く所によると、私がいった↑の病院は診察としてはいかがなものかって感じみたいですね。

アナ雪を男女の話だけに終始しないでいただきたい

匿名ダイアリーのアナと雪の女王のレビューを見た。

anond.hatelabo.jp

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

とか。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

とか。

全然共感できない。あーこういうふうに考える人もいるんだなーとは思った。

えーっと私はどうだったかな?と思い返して過去のレビューを見てみた。

 

ディズニーに関するブログを書いているのはざっくり2件、1つは、アナ雪を書き出しにディズニー・アニメから「アメリカの倫理観」について自分的に考察しているもの

 

mangobus.hatenablog.com

 んでもう一個がアメリカも日本より先進的に見えて、本当はまだまだ男尊女卑というか性役割が明確なのかなーと思ったということを書いたこちら。

 

mangobus.hatenablog.com

 

アナは自らの愛、もしくは、エルサの愛によって自らを窮地から救いだした。そこには男性という存在は一切存在しない。個人的にはクリストフはいらねえじゃねえか。とすら思ってしまったのだが、

この「が、」のあと、私は善し悪しの判断はせず、アメリカや日本で大絶賛されてること自体、男女平等に近づいてることかもねー的なことを書いている。

正直言えば私はあえて「が、」のあとの私自身の感想を避けたように思う。というのも、私も「クリストフくんのちょっといいとこ見てみたい♪」という気分になったからだ。

いうてしまえば、私も業者か??的なことを感じたのだ。

あと、何よりも、そんなことよりも、やっぱり、男の活躍とか私の中でどうでもよかったんだと思う。私にとってアナ雪は機能不全家族アダルトチルドレンなった姉妹の物語であると同時に発達障害で先々で問題を起こすエルサ姉さんの物語だと思っている。

引きこもった末に大事な場面で大騒動起こして、もういい!私だけの世界で私は生きていくの!と自暴自棄になったところを妹さんが身を呈して、姉さんの能力、使いようによってはええもんなんでと希望を与えてくれた。そして何より、暴走する自分に思いっきり傷ついてしまう妹を、自らの愛の力で救えたというエルサの自己肯定感を回復させていく物語だと思うと、男とか女とかマジどうでもいいし、恋愛もどうでもいい、というか大どんでん返しを演出するための道具でしかないんだなと割り切れる。女の子たちのストーリーだけど、そこに流れる本質はつまらない性別の概念に左右されるような陳腐な話ではない。

(ちなみにアナにしてもめちゃめちゃ切ない。完璧な姉にごりっごりのコンプレックスを持って、姉に勝てない、姉とは違う形で幸せを手に入れたいと思いながら、世間知らずで無知な女の子が初めて姉のためにと世界に出ていき、自分の無力さを痛感させられながら大人になっていく物語。二人とも課題があって、二人とも求めあっているのにすれ違う切なさがある。どんな人でも登場人物のどこかに自分の何かを重ねられる重厚なキャラクター設計があると私は感じている)

 

元ネタの男たちのアナ雪評もクソだなーと当初イライラしながら読んだんだが、あ、この人たち、やいのやいの言いながらアナ雪楽しんでるな。ならよし、となった。レズビアンカップルの話とは全く受け取らなかったし、オラフの鼻が男根なんていうのは夢にも思わなかった。

楽しみ方は人それぞれなんだろうなぁと。

そうは思いつつも、ありのままという口の動きに合わせた日本語訳をそのまま、女性解放という文脈にしか受け取らない匿名ダイアリーの増田の意見にはちょっと賛同できないっつーか、アナ雪好きとしては全然賛同できない。

 

ありのままとかじゃねえから。あれ、自暴自棄の絶望感と失意を美しく歌い上げていただけだからね。だから泣けるんだよ。エルサ、そんなに自分を責めるな、自分で背負いこもうとしなくていいんだよーーーってなるから、あのシーンは悲しく美しいんだよー。

そういう意味では、↓のブログがやっぱり一番しっくりくる。

オラフの正体に注意して『アナ雪』を読み解く - ここはお前の日記帳

オラフ怖いなーこいつなんだろう、全然可愛くないんだけど、と、私はよくわかってなかったんだけど、エルサのアバターというので、すごく腑に落ちた。たしかに変に子供っぽいけど、変に常識人だし、エルサの潜在的無意識みたいなものなんかもしれん。つか、私が書いたこと、読み返したら、この人が書いたことと同じこと言ってるじゃん。↓

これはたまたま主人公が女性なだけで、兄弟であっても泣けるプロットだし、女性の解放とかそういうあやしい概念じゃないんですよ。ただ女性が主人公なだけ。恋愛とか王子様を中心に据えるパターンから脱却しているだけ。だから好きなんです。私は正直恋愛主導の話にあんまり感情移入できないので。

こんなに分かりやすく書けない、ああ、文才が欲しい、ほひぃー!

 

まぁでも、単純にアナ雪好きな人はそういうところをドキューンと鷲掴みされてるんだろうな。

 

全部書き終えた後気がついたけど、私そもそもクリストフはめちゃめちゃカッコいいよ!業者じゃないよ、あいつと結婚したいよって書きたかったんだけど、アナ雪の内容のことを書いてたら忘れてた。たぶん、そういうことなんだよなぁ。メインのストーリーがよくできすぎてるから、男が置いてけぼりとかマジどうでもいい案件なんだよ、アナ雪。

 

低学歴男子に知性を求めるならオタクが狙い目…?

精神的に不安定になっており、仕事をまったくしないでひたすらネットサーフィンと惰眠を貪ることにした。何も手が付かないし、頭をつかうのが本当に無理だった。身体の重さもひどい。

んで、そんな中、鈴木涼美の記事を見ていた。

gendai.ismedia.jp

この手の記事を読んでいると、ほんっとーーーに我が夫を思い出す。

我が夫は高卒だし、ヘビースモーカーだし、酒ガバガバ飲むし、意識が全くたかくない。

news.livedoor.com

家のゴミで地域の安全性やら文化度が知れる・・・みたいな記事があったが、うちの夫は確実に世田谷区のゴミじゃない生活をしている。

本もあんまり読まないし、世界情勢の情報収集もしない、高等遊民度ゼロ。

彼の庶民っぷりに時々「うわー…」と思う。これが俗にいう庶民なのか、と。

(ちなみに言っておくが私だって間違いなく庶民だ。だが、どうもネットで見るいわゆる大学に進学しないで就職する層とは違うところで生きていたように思う。高校、大学が私立だったからかもしれん。基本的に友達は皆大卒だし。)

知らないこともすごく多い。ニュース番組とか見てると「TPPとか何?」とか普通に聞いてくる。圧倒的に一般常識の知識が少ない。

 

でも…めちゃめちゃ文化的で理知的なのだ。たぶん、興味がないだけで、ちゃんと勉強すれば、知識を仕事に生かすだけの能力もある人だ。野心が全くないが、地の頭がいいのが彼だ。

だが、そんなことで理知的、文化的だとは思わない。彼の最大の利点は、『オタク』だということだ。

 

最初にリンクを貼った鈴木女史の記事内で紹介されている女性が、彼氏の「英語が話せないマジないわー」エピソードをこう語っている。

ブロードウェーの『シー・ラブス・ミー』の話が出たのね。どんな人でも高校出てたら意味のある文章に聞こえるタイトルが、彼の中だとただの呪文なの。シー・ラブス・ミーって聞いてさ、アイマイミーマーイ!みたいなおまじないのセリフだと思うのって重症じゃない?」

 たぶん、もしこの彼がオタクだったらこうなることはないだろうと私は思った。

私の夫も英語が話せないが、子供時代からの生粋のスターウォーズ好き、アメコミ好き、アメリカドラマ好きだからか「ガッテム」の発音だけは妙にいい。

というか、日本で未発売の北米ゲーム(call of dutyは北米版の方が日本語版より先に発売していた。)を1秒でも早くやりたいとネットで購入、全部英語のゲームをやり「北米鯖重い…クっソ、かてねえ…!」とぼやきながらプレイしていた。

何気なく「スーサイドスクワッドのタイトルの意味さ、スーサイドが自殺で・・・」と私が口にすると「スクワッドって部隊ってニュアンスでゲームで出てくるから、決死隊とかになるのかな?」と、先に答えを言われた。軍隊用語への偏りがひどいが、実践(遊ぶ上で)で磨かれた語彙力がある。(※決死隊という言葉は英語では別のフレーズみたい)

 

さらに信長の野望もやりこんでいたので、「オレは歴史は嫌いだ」と言いながら戦国武将の戦闘スタイルや戦闘時の相性はたぶん私より絶対詳しい。

 

ザ・低学歴でも、オタクだと、高学歴と遜色ない知性を持っていると思う。だから高学歴の人にもオタクはおすすめだ。
そもそも高学歴といっても文系だったら日東駒専以下くらいの大卒だったら高卒と大差がないから、たぶんそもそも学歴で会話の噛み合わなさって差を感じないと思うんだけどな…。

ただ、残念ながら、

この世は9割の強引な男が好き、という女と、1割のそうでもない女でできているということだ。田嶋陽子先生の血管がはち切れそうだが、女はなんだかんだついて来いという男についていきたい、というところから抜け出してはおりませぬ。

低学歴で、英語の(語彙力が堪能ゲーム用語のみ)でもやっぱりオタク(我が夫)は「ついて来い」という男でも、強引な男でもないので、たぶん、9割の女性にはモテないんだろうとは思うけど。 

ウェブ時代だからこそ?

暴力をメインカルチャーのエンタメにするのはそろそろ辞めたほうが良いと思う。
そう思ってくれる人がたくさんいるんだなーと思えた正月だった。

blogos.com

この記事自体は「ベッキーが殴られてるのなんて、テレビ業界の内輪事情は今更ほっとけよ」というものだが、騒動について色々記事を網羅しているので、乗せておく。

個人的には、90年代のお笑い芸人たちの暴力的な笑いはどうにもすきになれなかった。ダウンタウンも、とんねるずも好きだったが、暴力的な部分はどうしても、白々しい気持ちになってしまったし、人を馬鹿にして笑いものにする笑いはどうにも好きになれなかった。でも、テレビだとそういうのが多いから、そういう番組は見ないようしていた。

今回、この一連の炎上騒動で、ベッキーが嫌がりながらキックされる様は、見ているだけで不快だし、その上「レイプ物みたいで勃起した」というクソリプを見かけてからは本当にレイプにしか見えなくなってしまい、不快指数が爆発的に上昇した。

「女性が暴行される」という批判の仕方もあるが、やっぱり、私には、いじめそのものに見えてしまう。公共の電波で、悪いことをした人に暴力を振るって笑いものにするのは(加害者が考える善悪の中で)悪いことをした人間は暴行を加えていいという理屈を見る側に伝えてしまう。それは90年代のころから批判され続けて来たし、皆が皆そうなるとは思わなかったが、それでもいじめの現場では加害者の罪悪感を「こいつ悪いことをしたんだから制裁を加えて何が悪い」という理屈で押さえつけるものにはなるだろう。

なによりも、嫌がる人に与える暴力が笑えるというのが、やっぱり私には理解ができない。なんで、痛い思いをしている人をみて笑えるのだろう?

 

出川さんも同様の理由で嫌いだ。彼の素のうっかりを周りはバカにして笑う。運動神経悪い芸人も同じだ。なんで、笑うのだろう?そんなことで笑われたら、人は頑張れないし、成長できない。

なんで人の失敗を笑うのだろう?なんで人の恥ずかしい様をみて笑うのだろう?

私はバラエティ番組は好きな方だが、そういう笑いは昔から苦手で、いつもチャンネルを変えていた。

でも、昔はそんな私の不快感はあまりにもマイナーな気がして、口にだすことはできなかった。でも、私のような感性の人が、声を上げられている。

 

それはちょっとうれしいことではある。

暴力を見て痛いと感じて、人の恥が笑われているのを見て、屈辱を感じる、そういう感性の人はマイノリティなのかもしれないが、ウェブでは声を張り上げることが許される。それはきっとウェブ時代だからこそのいいことな気がするな。

(人権問題とか、いじめを生む、そういうのはとりあえず脇に置いておいて、ね)

新婚に苦言をいいたい既婚者

この虚無感とこんなものが世の中に出回ってはいけないと思う気持ちはなんなのだろうか?

cakes.mu

ケイクスの恋愛泥沼系インフルエンサー(推測)の2人の対談で、2人が恋愛結婚至上主義をぶち上げている。

そこまで好きにならないと、結婚はできないという呪いを世界に向けて発信しているようで末恐ろしい。

私が読んだ印象として、2人は共通して、

  • この人なら結婚したい、結婚してもいい人と出会えたから結婚した
  • それ意外の相手はそこまで思えなかったから結婚に至らなかった
  • 結婚する前にとことん色んな人と遊び倒したほうが良い

というようなことを言っている。まったく目新しいことは言っていないし、新婚ののろけ話そのものだ。

もちろん、愛のある結婚は素晴らしいし、そうであっていいと思うけど…そこまでの人じゃないと結婚相手にする価値がない、そこまで思えない人は遊びまくって捨てていいと言わんばかりの雰囲気で、ちょっと不愉快だなーと。

自分は選ぶ立場にある立場になってる上から目線も腹が立つ。交際は結婚相手を探すための選考会でも試食会でもないだろう。人の人生をなんだと思っているの?と問いたくなる。

 

そう思うのは、私の中に非モテがいるからだと思う。ここでいう非モテというのは、自分に選ぶ権利はなく、選ばられる側にいるという感覚。だから、2人のように、「だからこの人を選びました!」と言われるとどうしても「だから私は選ばれない」というすねた気持ちが湧き上がる。

もちろん、私も既婚者なので、相手を選んだ理由的なのはあるんだけど…私は付き合う相手=結婚相手、セックス1回=結婚という感覚を常に持ち続けてきたから、別段「この人だから結婚したい」なんて思ったことはない。好きになったら付き合いたい、結婚したい。

恋をする相手に対して、それは誠意がなさすぎやしないだろうか?というか、逆かもしれない。結婚というものがあまりにも理想化されているような印象が、結婚願望がある読者を不幸に陥れているような気がしてならないのだ。

既婚者ならわかると思うが、結婚は生活そのものだ。恋だとか、愛だとか、好きだとか以上に一緒にいて心地よい、相手の生活やリズムを慮ることがなによりも大切なことだ。

2人が語っていることは新婚の舞い上がりばかりで、生活共同者について全然語られていない。トークテーマを恋愛にしぼったのかもしれないけど…文章をそのまま受け取ったら、結婚は息苦しいものになるし、結婚してみて「これじゃない」感じが募るのではないだろうか?

結婚も恋愛も交際も、同じ「パートナーとしてどうか」基準で考えるべきだと思う。

どんなに外で遊んで「もういいや!」と思ったって、10年、20年、30年と同じ人と暮せば、どうしたって飽きるし、どんなにセックスの相性がよくったって、他の人が気になったりしてしまう。好きだから、この人しかいないから、なんて基準で選んだって結局遊ぶ人は、遊ぶよ。生活である以上、必ず飽きは来る。

遊び倒してから結婚なんてしなくていい。遊びたいんだったら結婚してからだって遊んでも良い。結婚は特別じゃない、生きる延長線上の出来事でしかない。結婚は、周りが2人を公的に認めてるだけで、本質的に2人が変わるわけでもないんだから。

20代、私はたぶん病んでいた

人は人生の中で何回失敗するのだろうか?私はけっこう失敗している。

マジで失敗の頻度が人より多い気がするし、正直、死にたいし、なんでこう、いつもこうダメなんだろうか、と落ち込む。

それでも、20代のころよりは、私は強くなったような気がする。

また今年もそこそこでかい失敗をした。だが、ちょっと不可抗力みたいなところがある失敗だったので、そこまで大きなダメージを追わずにすんだ。だが、ふと、20代の頃の失敗を思い出した。

27歳くらいだったと思うのだが、色々と失敗をやらかして、手が回らなくなっていた矢先、取材相手にキレられたことがある。

キレながらも、相手は対応してくれたが、本当に手が回っていなかったので、私はその取材相手とは電話でしかやり取りしかできず(地方だったから)電話で平謝りをした。

後日、その地方に別件の出張で行く機会があった。私はどうしてもお礼と謝罪がしたくて、その取材相手に会いに行った。

だが、なぜか、謝罪をするはずが、取材相手を前に、大号泣したのだ。

わざわざ時差で挨拶にいった私に対し、取材相手がたぶん「大変でしたね」という、些細な一言を言ってくれたことに、張り詰めていた私の中の何かが決壊した。

必死で涙を止めようとしても、どうしても、どうしても溢れてきて、平静を保とうとしても、涙も嗚咽も止まらず、何も言葉を発することもできなかった。

私の心は、焦りながらも、自分の身体を呆然と見つめていることしかできなかった。そりゃそうだ。初対面の相手の前で、号泣って。私の心は焦りまくっていたが、身体はもう、自動運転モードというか暴走モードというか、完全に、私の自我ではコントロール不可。高ぶる自分自身が静まるのを待つことしかできなかった。

そして、なによりも、もう待とう、と思えたのは、取材相手自身が、ただ静かに、私が泣き止むのを待っていてくれたからだ。

正直いって、めちゃくちゃ恥ずかしかった。もう、その方には二度と会えないと思った。今考えれば、それでもう二度と会わないのは失礼なのだと思うのだが、だからといって、もう10年近く経つのに今更会いにもいけないし、会う理由もない。あれは謝罪の形としていかがなものだったのだろうかとも思う。

 

なぜあの場で大号泣したのか、あそこでなぜ張り詰めていた線が切れてしまったのか、たぶん、本当に色々と限界だったのだと思う。その人は、何も咎めず、何も触れず、私が落ち着くのを待ち、励ますことさえなかった。たぶん、だからこそ、糸が切れてしまった。この人はわかっている人だという安心感が、感情の決壊を招いたと思う。取材相手なのに、すがってしまったようで、自分の狡猾さが恥ずかしかった。

本当に静かに、私が落ち着くのを待ち、静かに送り出してくれたことを、私は心から感謝している・・・からこそ、ちゃんと会いに行くべきな気もするが、まあ、ね。その辺は会う理由もないし。

 

あの頃に比べれば、私はきっと強くなったと思う。自分が弱いことを知ったし、傷つきながらも仕事ができないファック野郎でも、生きていていいとたぶん、どこかで思うことが出来ている。

・・・ああ、書いても書いても何がいいたいのか分からないわ。

だから何なんだ?

でもま、私はあの時の取材相手のように、誰かが壊れそうな時、壊れないように、横たわってこられても、支えてあげられるような木になりたいなと思う。押し返したり、一緒に倒れたりしない、強くて優しい静かな木に。

そう思えるだけ心が回復してきているの、かな?まだあと50年くらいきっと生きなきゃいけないから、もうちょっと頑張ろう。