育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

20代、私はたぶん病んでいた

人は人生の中で何回失敗するのだろうか?私はけっこう失敗している。

マジで失敗の頻度が人より多い気がするし、正直、死にたいし、なんでこう、いつもこうダメなんだろうか、と落ち込む。

それでも、20代のころよりは、私は強くなったような気がする。

また今年もそこそこでかい失敗をした。だが、ちょっと不可抗力みたいなところがある失敗だったので、そこまで大きなダメージを追わずにすんだ。だが、ふと、20代の頃の失敗を思い出した。

27歳くらいだったと思うのだが、色々と失敗をやらかして、手が回らなくなっていた矢先、取材相手にキレられたことがある。

キレながらも、相手は対応してくれたが、本当に手が回っていなかったので、私はその取材相手とは電話でしかやり取りしかできず(地方だったから)電話で平謝りをした。

後日、その地方に別件の出張で行く機会があった。私はどうしてもお礼と謝罪がしたくて、その取材相手に会いに行った。

だが、なぜか、謝罪をするはずが、取材相手を前に、大号泣したのだ。

わざわざ時差で挨拶にいった私に対し、取材相手がたぶん「大変でしたね」という、些細な一言を言ってくれたことに、張り詰めていた私の中の何かが決壊した。

必死で涙を止めようとしても、どうしても、どうしても溢れてきて、平静を保とうとしても、涙も嗚咽も止まらず、何も言葉を発することもできなかった。

私の心は、焦りながらも、自分の身体を呆然と見つめていることしかできなかった。そりゃそうだ。初対面の相手の前で、号泣って。私の心は焦りまくっていたが、身体はもう、自動運転モードというか暴走モードというか、完全に、私の自我ではコントロール不可。高ぶる自分自身が静まるのを待つことしかできなかった。

そして、なによりも、もう待とう、と思えたのは、取材相手自身が、ただ静かに、私が泣き止むのを待っていてくれたからだ。

正直いって、めちゃくちゃ恥ずかしかった。もう、その方には二度と会えないと思った。今考えれば、それでもう二度と会わないのは失礼なのだと思うのだが、だからといって、もう10年近く経つのに今更会いにもいけないし、会う理由もない。あれは謝罪の形としていかがなものだったのだろうかとも思う。

 

なぜあの場で大号泣したのか、あそこでなぜ張り詰めていた線が切れてしまったのか、たぶん、本当に色々と限界だったのだと思う。その人は、何も咎めず、何も触れず、私が落ち着くのを待ち、励ますことさえなかった。たぶん、だからこそ、糸が切れてしまった。この人はわかっている人だという安心感が、感情の決壊を招いたと思う。取材相手なのに、すがってしまったようで、自分の狡猾さが恥ずかしかった。

本当に静かに、私が落ち着くのを待ち、静かに送り出してくれたことを、私は心から感謝している・・・からこそ、ちゃんと会いに行くべきな気もするが、まあ、ね。その辺は会う理由もないし。

 

あの頃に比べれば、私はきっと強くなったと思う。自分が弱いことを知ったし、傷つきながらも仕事ができないファック野郎でも、生きていていいとたぶん、どこかで思うことが出来ている。

・・・ああ、書いても書いても何がいいたいのか分からないわ。

だから何なんだ?

でもま、私はあの時の取材相手のように、誰かが壊れそうな時、壊れないように、横たわってこられても、支えてあげられるような木になりたいなと思う。押し返したり、一緒に倒れたりしない、強くて優しい静かな木に。

そう思えるだけ心が回復してきているの、かな?まだあと50年くらいきっと生きなきゃいけないから、もうちょっと頑張ろう。

憂鬱暴風域、発動

私の心は本日もどんよりしております。世間は秋晴れ。

私のメンタルは本当に些細なことで傷つき、大荒れとなるのです。バタフライエフェクトもびっくりですね!

憂鬱で仕方がありません。

ひょんな世間話から、夫が、びっくりするほど私のできないことをわかっていると知った。

「オレが勤めている会社では君ができる仕事は・・・うー・・・ん・・・。
ずぼらだし、時間守れないし、飽きっぽいし、マメさもないし…うちの会社に君は雇えないかな。
まあ、面接は通るだろうけど。半年に1回あるストレスチェックで毎回ひっかかって、上司を悩ますだろうし。」

わかっていらっしゃる!

そう、私は人当たりはいいし、パット見はこいつ使えると思ってもらえると思われるのだが、実際日々雇う立場としては、使い勝手が悪い人材だ。

メンタルヘルスはすぐ悪化する、新しいものに興味は持つが継続力がない、時間にルーズ、めんどくさがり、気立てが悪い。

雇用者としては本当に価値がない。

おそらく資質としては経営者側だと思う。

新規開拓や、新規事業のアイデアは出せるし、好奇心旺盛で情報収集にも前向きだ。だが、致命的な欠点がある。

メンタルが死ぬほど脆いのだ。

上にたって誰かを先導するリーダーシップ力もない。大見得を切って人をひっぱっていけるメンタルはないし、資金集めもできない。確信を持つことも、上にたつこともできないわけで。正直言って経営者の2大仕事は、金集めと人材集めだと思う。

金も人も指針をぶち上げて信頼させられないと集まって来ない。

つまり、多少の大見得が切れるメンタルの図太さ、大胆さが必要だ。

ついでにいうと、指針を作るための努力(緻密な計画や、リサーチとか)を自分にしいるほど、そもそも自分が自分を信頼していないと来てる。それは、怠慢な性格か、メンタルが弱いせいか、は分からないが。

だから今だってプロジェクトを立ち上げる時に、私を信じて、力を貸してくれて、アイデアをまとめ上げるサポーターがいないと全然まとめられない。頭では大丈夫だと分かっていても、一瞬にして不安が襲ってきて「やっぱりダメなんじゃないか」「なんでこんなことやってるんだろう」「本当に私はこの道であってるんだろうか?」と不安になって、立ち止ってしまう。で、身動きが取れなくなる。

色々足りていない。それは仕方がないことだと思う。個人事業主だらけの世界で、どれだけの人間が大成し、黒字経営をできているというのだろうか。個人事業主、経営者なんてやつの半分ちかくは兵隊(被雇用者)としてやっていける能力がないから、独立しているだけではないだろうか?いや、そんなことないかもだけど。

 

はー・・・それにしても、夫の話はともかく、世の中には私ほど働くことに悩んでいる人ばかりじゃないと思うと、本当にうんざりする。病気や大きな手術をした人でも継続して働けている人がいたりするわけで。健康そのものなのに、私は全然働けないんですけど。

なんなんですか、この差は一体何なんですか?私はなんなんですかと思ってしまう。

朝は起きれないし、睡眠時間は長いし、心が張り裂けそうになるほど決断が辛い。働きたくない、だけど、働かないと生きている心地がない。

もし夫がいなかったら私は生活保護なしでは生きていけないだろう。

働く女性の貧困の記事を色々読んでいたらまた不安に襲われてしまった。


今生きているんだから、仮定法で悲観にくれてもしょうがないんだけど怖くて仕方がない。生活保護を受給したとしても、先立つ金がなく、国家の金で飼いならされるかと思うとゾッとする。どんなに抜け出したい、自分で金を稼ぎたいと思っても生活保護受給になったらきっと抜け出せないだろう。ただ、自責と自堕落とで、身動きが取れなくなる気がすごくする。

はぁ。こういうバカな妄想も含めて、全部、全部発達障害の特徴になかったっけ?

なんでこんなに私は生きづらいのだろう。傍から見てたらそんなふうには見えないと思うけれども。

自分の社会不適合者ぶりに今日も憂鬱で仕事が手につかない。

どんくさい自分を自覚

憂鬱再燃。

短い…あまりにも短くないか。ポジティブになれる時間が。

私は最近、自分がかなりのんびりさんなんじゃないか、と気が付き始めた。

いつも焦っているのは、実は、自分が遅いから、焦らせないと社会についていけないと思っているからではないかと思い始めた。

考えてみたら身体の色んな数値も遅い。

血圧は低い、脈は遅い(徐脈)、心拍数も遅い、生理周期も長い(一般的にだいたい1ヶ月位で生理がくるようだが、私は、1.5ケ月くらい来ない)、睡眠時間も長い、歩くのも遅い。

生理的な部分は基本的に人より全部時間がかかる。

しかも、ノロマで、所作も遅いのだ。決断力もない。そんな自分がいやで、変えようと必死になっているから、焦っているんじゃないだろうか。

と、客観的になれたのは、ここ数日のような気がする。

一つ一つ、分かっていたし、知ってもいたが、認めたくなかったのかもしれない。

いや、認めたくないわ。私、認めたくないけど、どんくさいし、要領悪いんじゃね?って認めたいやついるかよ。認めたくないから必死に行きてんだボケっていう。心拍数とか生理的な部分も含めて色々全部遅いから認められたようなもんだ。

まあ、認めたところで、何が変わるかわからないけど。焦るなとはいえるのかもしれないなー。

生き急ぎ過ぎている

憂鬱が一応一段落した。
仕事したくないけど、まあなんとかギリギリ自分を抑えられている感じだ。

どうしたら仕事がしたくない自分を受け入れられるか、自問自答中だが。

最近見たアニメでFate/Zeroがある。アマゾンプライムビデオで無料配信だったから見てみた。 

 内容はディルムッド激萌えとか、イスカンダル惚れるとか、ギルガメッシュ身悶え、とかとかもう、クッソ面白いんじゃが!!と、ついついノッブの口調になっちゃうくらい。だが、そんなことは全部ここでは割愛する。けっこう響いたのは、イスカンダルに諭される高校生のマスター、ウェイバーの存在だ。

Fateというのは、なんでも願いを叶えてくれる聖杯をめぐり、7人の魔術師(マスター)たちが、歴史上の英雄を使い魔(サーヴァント)として呼び出し、殺し合う物語だ。

7人の魔術師はいわば世界最高の選ばれし7人。その7人の頂点に立てれば、それは世界最高の魔術師と言えるのだろう。
魔術師の学校にかよっていたウェイバーは、優秀だが、魔術師としては教師や周りから全く認められていない存在だった。そんな状況を打破しようと、魔術師の頂点である聖杯戦争に力技で参戦。彼が呼び出したサーヴァントは強大な力を持つ英雄、イスカンダルアレキサンダー大王のことらしい)で彼はイスカンダルを制御しきれず、事あるごとに「バカにしやがって!」「見返してやりたい!」「僕のことを認めさせてやる!」と卑屈になる。

若く未熟な少年に私はガッツリ共感してしまった。成長とはどうしても時間がかかるものだ。年単位、数年、十数年…。それを実感するのは、すっかりおとなになってからだったりする。だが、年若い内は「明日!来年、ていうか今この瞬間!!人に認められたい!!求められたい!!!」とただただ駆り立てられる。

認められるためだったら、死んだってかまわない、そんな愚かさがある。

そんな高校生マスターに対して、イスカンダルは諭す。現状把握が出来ている、だから焦る、だが、それは成長する可能性を秘めている、だから、そう行き急ぐなと。

高校生マスターは事実、優秀だが、未熟ゆえに見逃す情報や好機も多い。視聴者的には、それは彼の能力不足というよりかは、ただの経験不足だと何となく分かる。場数を踏めば、おそらくはそれなりによい魔術師になる素養はもっているのだろうなと、Fateの世界観が分からなくとも感じられるシナリオだ。
そんな、アニメ上のやり取りを見て、彼の未熟な焦燥感は、私のそれそのものだなと痛感させられた。私はずっと焦っている。今を見ようとしていないのだな、なぜこうも、私は焦ってばかりで、足元をしっかりと見ようとしていないのだろうか?とおもってしまった。

もちろん、気がついたからって、自分の多動性が治るとは思わないが、もう少し、自分を認めてやっても良いかもなーと。

 

どうでもいいが、シナリオを担当しているのは虚淵玄だった。またお前か、虚淵玄虚淵さんが持っているテーマはいちいち刺さる。未熟さ故に不安定な若者の心象の描き方がリアルだ。焦燥感、無力感、絶望感…今の時代を生きる人間が、漠然と抱える闇を見事に描き上げ、共感させ、救いを与えながらも、その闇の深さゆえ、主人公たちを容赦なく絶望の縁に叩きつける。必要以上に主人公に救いを与えないシナリオだからこそ、彼の作品はこうも私の心を慰めて、奮い立たせてくれるような気がする。

 

PSYCHO-PASSもちゃんとみたいな~。

メンタルヘルス低気圧

憂鬱がひどい。

ここ数日のメンタルヘルスがたぶんヤバい。

ツイッターでネガティブなことばかりつぶやいている。30代としていかがなものか、と思わずにはいられないレベル。

しかも、ちょっとうっかり失敗をしてしまって。

自分自身のために整理をすると、

私がボランティアで手伝っている大きなプロジェクトがあって、そのチームの主力は学生さん。私はリズム感のよくないそのチーム(学業の合間だし学生さんたちもボランティアだから仕方がない)のやり方につい、やきもきしてしまって、口を出しまくった。

私自身がほぼコミットしていないその場限りのボランティアなので、あんまり口を出せないのを分かっていながら、すげー口出しをしまくってしまっていた。

基本的には、そこの世界のことは門外漢なのに、つい調子にのって仕切りだしてしまい(しかもその仕切りが正しいかもよくわからないのに)、その世界的に「いや、それはないでしょー」という提案をしてしまった。あくまで提案なので、痛手はないのだが、本業の人たちが見ていてヒヤヒヤする内容だったようだ。

なお、これらはすべてオンライン上のやり取りだが、見かねて「そういうメッセ、送らないでください」と電話がかかってきた。

ダメの熱量がよくわからないが、私は「ああああー」と思った。彼らは基本的に圧倒的に人手が足りず、表立ってもう手を出さないでください、何もやらないでください、とは言わない。そもそもそんな具体的な指示をする余裕がないのだが、それでも電話をしてきたってことはけっこうなやらかしに見えたはずだ。

あなたにそこまで求めていないのだよ、という、声が聞こえてきそうな勢いだった。(というか自覚もある、むしろどこまで口出しして許されるかわからなかったから、注意して我に返った部分もある)

 

裏で何を言われているか…いや、言われていないとは思うけど、私は「めんどくさい」ヤツ、カテゴリーに入ってしまったかも、と思うと、気が気ではなかった。

だって、こっちはそこそこ身銭切って手伝っているのに、だよ?自分の分別をわきまえなかったとはいえ、そうやって「めんどくさい扱い」されるのはやっぱりきついし、落ち込む。

あと、なんか良かれと思ってやった結果、失敗っていうのもさ、まじで凹む。じゃあ、最初から何にもしないほうがよかったじゃん、何にもしなかったらイタズラに評価をさげなかったのに、馬鹿なの?って気持ちになる。

 

ああ、でも、考えてみたら私なんで自ら身銭切って、自分の労働力ただ売りして、彼らの手伝いをして、しかも彼らの足をひっぱってる扱いをされているんだろうな?

ただのバカじゃん、私。考えてみれば。釈然としない気持ちがずっとある。軽く見られているという気持ちが。

もう落ち込むのは辞めた方がいいとは思いながら、なぜこんなに落ち込むのかよくわからない。

自分の中で、自分を責める声が鳴り止まない。

 

自己嫌悪と、自己犠牲、なんか、よく解かんないけど、私一体何なんだろうか?

 

でも、真面目な話、私は自分を安売りするのはやめたほうがいいだろうな。本当に。

単価をガンガンに下げて売り渡すから、買い叩いていいと思われちゃうわけで。はぁ。商売っ気がないんだから、もうちょっと考えないといけないな。こんな一銭にもならない仕事(ボランティア)をなぜ私は喜々としてやっちゃうんだろうな〜。

 

と、無軌道にもやもやした気持ちを書き綴ったら少し落ち着いた・・・。

 

そこまでのことじゃない、と頭の片隅では気がついているんだけど、ふとしたきっかけで自分を自分で責め始めてしまって、声に出して自分を罵声してしまう。

「最悪だ―」「マジでないわ―」「どうしてお前はいつもそうなんだ」「だからダメなんだ」「もーいやだ」「もーなにもしたくない」「頭が悪すぎる」とかとかとか。人目は気にするけど、やっぱり止まらない。

たぶんね、もうちょっと病みが進行したら私も電車の中でつぶつぶ罵声を大声で発するような気がするんだよね。そういうことなのじゃないかな、きっと、精神を病むというのは。いや、何の話だよって感じだけど。

 

あーちょっとすっきりした。

なんかこの手の話の愚痴は誰にも言いにくいものがある。自分の恥ずかしいうっかりを伝えなきゃいけないし、たぶん聞いた人は「あー・・・それはやっちゃダメなやつでしょ―」ってなるし。結果的には「え、そんなこと気にしすぎじゃない?」とは言ってくれたとしても、「気にするなっていいつつ、お前さっき私のうっかりを「ないわー」って言ったやないかい」って気分になるのは目に見えているから言いたくない。あと、私は誰か他人を責めるのが得意でもないから、基本的に自分が全部悪い口調でしゃべっちゃうし。あとたぶん感情が溢れ出して泣くし。で、泣いたら泣いたことで聞き手はテンパって「事実としてそれほど気に病むことじゃない」と冷静にジャッジしてくれなくて「もう泣くなよ―」と思う気持ちで接するから、逆に気を使うんだわ。

私ね、こう見えて(?)相手の気持ちに立ってものを考える人間だから、さ!

 

頭の中で、ぐっちゃぐちゃになっていて、自分ではなにがなんだかよくわからなかったんだけど、文字に書きなぐったら、気持ちが少し整理が付いた。別に強烈に悪いことをしているわけでもないし、強烈に人生の汚点となる失敗をしているわけでもないし…そもそもノーギャラだし。ギャラももらっていないのに、真面目に頑張ってしまう私はいかがなものかと思うけど。その辺は今後考えねばならない私の仕事スタイルとも関わってくるわけで。

ああ、仕事意識でやってるから落ち込んでるんだな。いや、どうかなー逆にプライベートの人間関係だから落ち込むのか、うーむ。何はともあれ、私繊細すぎてまじでいやだ。

さて、そろそろ仕事しないとな。

生理用品雑記①布ナプキン編

生理用品は今急激に多様化しているような気がしないだろうか?

私は新しもの好きの気があるので、新しく知った生理用品は結構試す。だってさ、紙ナプキンってつらいじゃん?かゆいじゃん?蒸れるじゃん?そんな不快感がなくなる、というのであれば、試したくなるじゃん?

 

トライアル①布ナプキン

まず試したのが 布ナプキン。 

 子宮がひえるとか、あたためるとかそんなことは、つけた印象としても特になかった。ただ肌のかゆみがなんとかなるなら!そんなわらをもすがる思いと、生理用品買うのが煩わしくなっていた時期だったからだ。

布ナプキンのメリット

  • むれにくい
  • 出血量がわかる
  • 繰り返し使えてお財布に優しい
  • ゴミが減る
メリット1 むれにくい

もちろん、長時間つけていたり、表面の速乾性のない布だからこそ、血液がたれた後はけっこうヌルヌルする、というのは、あるが、風通しはいいのだ。

ビニールを肌に当てている不快感というものはない。

また結果的に、という部分はあるのだが、長時間使っていると、紙ナプキンに比べ、漏れ出てくるのでまめにかえなくてはならず、結果的に肌へのダメージが少ない気がする。

毎回生理後は股間周りが痒くなる肌弱い人にはおすすめだ。

 

メリット2 出血量がわかる

また、2点目にメリットしてあげた出血量だが、手洗いをしなくてはならない。よって、自分がどれだけの血を流しているのか、如実にわかるわけだ。これは、自分の体を知るいいチャンスであると私は思い、メリットと考えている。

 

メリット3 繰り返し使えてお財布に優しい

また、繰り返し使うことができるので、収納スペースの場所が、紙ナプキンよりも場所を取らなくて住むのはメリットだろう。

いちいちお店に買いに行く心配をしなくていい、というのも、お財布にも優しいし、買い忘れがちなうっかりさんにはメリットだろう。

 

メリット4 ゴミが減る

また、ゴミを減らすことが出来てエコ、という側面もある。ただ、その分たっぷり水洗いするので、本当にエコなのか?とも思うが、「エコ」という考えを突き詰めていくと、「人間ってそもそも生きている事自体エコじゃない」と人類の存在そのものへの疑問になりかねないので、ゴミを減らせるということは「臭いものをゴミの日まで保管しなくて済む」という衛生的なメリットがある。

布ナプキンのデメリット

  • 血液量が多いとすぐ漏れる
  • 血液量が少ないとよれる
  • ゴワゴワする(がさばる)
  • 手洗いなどの一手間が必要
  • 出先で取替が面倒
デメリット1 血液量が多いとすぐ漏れる

多い日、油断をしていたり、紙ナプキン多い日用などの要領で使うと、股間周りが血の海になることがある。おそらく、多少の経験が必要だと思うので、使い始めは家でトライされることをおすすめする。

デメリット2 血液量が少ないとよれる

これもデメリット1との関連だが逆に、少ないから布ナプキンで快適に、と思っていると、それはそれで落とし穴がった。血液の水分で、ある程度重さと湿度で下着と密着するようで、血液量や水分量がたりないと、布ナプキンは縦横無尽に動き出す。私が多動なせいもあるかもしれないが、お尻の方へ大移動することもままある。

アクティブな行動が多く(といっても散歩程度)血液量が少ない時は、固定されないタイプの使用は避けたほうがいいと感じる。

 

デメリット3 ゴワゴワする(がさばる)

おしゃれファッションを生理中にできる強者はなかなかいないのかもしれないが、布ナプキンはかなりがさばる。ごわごわする。ジーパン愛用の私でも、重装備(生理2日目)は股間が伸びてるんじゃないか、へんなフォルムになっているんじゃないか、と少し心配になったほどだ。

デメリット4 手洗いなどの一手間が必要

購入してもらえばわかるが、布ナプキンは、洗濯機に入れることをあまり推奨していないようだ。だが、手洗いを日常にする現代人は多くないのではないか。私も、最初はマニュアル通りにやっていたが、現在は洗濯機を利用している。だが、洗濯機に入れる、にしても、たっぷり含んだ血液をなんとかせねばならない。まずは手洗い、そのあとセスキ炭酸ソーダに半日〜1日浸してから網に入れて洗濯機、という流れだ。…手間多っ!セスキ炭酸ソーダに浸さなくても、洗濯機を毎晩回せるわけではない(私は)。だが血液汚れを放置すると固まってしまうので液体にはひたすわけで、じゃあ、セスキつかっとく?という感じ。

デメリット5 出先で取替が面倒

最大のデメリットと言っても過言ではない。取説などによると、専用の袋に入れて(ジップロック的な密閉できる袋)、布ナプキンに水スプレーにつけて、乾燥させないようにして、保管しましょう!と書いてあった。おいおい、なんでそんなクソめんどくさいことしないと行けないんだ?と。思って、水スプレーは持ち歩かなかった。だが、袋に入れて持ち歩くことの不快感も凄まじい。何が悲しくて、血まみれの布を持ち歩かないといけないのか?うっかり誰かにカバンの中を見られたらちょっとしたスリラーだ(ちなみに専用の袋は中が見えない仕様ではあるが)。臭みがもらえるかもしれないし、あと、やっぱり衛生的にいかがなものか?カバン全体を虫干ししたくなる。

快適さを求めるなら・・・肌弱い人におすすめ

正直言うと、デメリットの方が多い。エコロジストやポリシーがある人ならば、布ナプキンはそれなりの「やりがい」を感じさせてくれるのだが、「いかに快適か?」を求める人には、あまりおすすめしにくい。

ただ肌荒が気になる人にはぜひ一度使ってみてもらいたいとは思う。私も夏場など汗を多くかく時期、家では布ナプキンを使う。また、ちょっとしたおでかけくらいでも布ナプキンでも対応できるだろう。

やっぱり、後発アイテムである紙ナプキンはかなりユースフルだなとは思う。

 

気が向いたら次は、タンポンや、生理カップについても書いていきたい。

子供時代、私の性的アイデンティティを振り返る②

書き忘れたことを書く。

子供の頃、小学校4年くらいからか、私は女性を好きになる努力を始めていた。
それはなぜか、簡単な話で、男は女を好きになるものだからだ。それと、当時、私は巨乳ハンターという漫画にハマっていて、巨乳ハンターになりたかったような気もする。

csbs.shogakukan.co.jp

高校生の恭塚まさ子は容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。 
だが好きな男子に告白したら、「貧乳である」の一点だけでふられてしまう。 
まさ子は巨乳の女性に対して逆恨みし、あやしげなコスチュームと顔を隠すゴーグルを自作。 
巨乳の女子達の魚拓ならぬパイ拓をとるため、胸に肉まんを詰めて「D-cup」と書かれたコスチュームを着用し、巨乳ハンターと名乗る。

(私は肥満児ゆえ貧乳でもなかったし、巨乳に嫉妬もしていなかったし、よくわからんのだが、なぞのあの世界観にどっぷりハマっていたのだ。トップをねらえ!ガイナックスの美少女が宇宙空間で体操服で訓練を受けて巨大ロボットを操って戦う話)も好きだったから、戦う美少女がすきだったのかもしれん。しかし、ゴーストスイーパー美神といい、巨乳ハンターといい、強い女性巨乳の女性が多い時代だったのだな・・・。)

 

女の子のおっぱいに興味も持ったが、実際はみんな全然漫画やアニメのようにいやらしくないし、豊かな体つきもしていない(まあ、子供だからね!)。だが、だからといって、自分の体をみたってむしろ関取のようだ。銭湯で大人たちをみても美しい体なんてありゃしない。

仲のいい女友達のこと、本当は好きなんじゃないかと思ったりもしてみたのだが、なんか違う。

(ちなみに、初恋の相手を探したり、かっこいい男の子をストーカーしたり、おっさんのようなキモい肥満児は気持ち悪い女子としての青春を謳歌していた)

アニメキャラクターの女の子たちには興奮できるのに、なぜだろう、女にからきし興味が湧かん。「好き」と思えるのは男子ばかりだった。

常々、自分の中で「男なのではないか?」という自問自答を繰り返していた私は、女をすきになれない、バイセクシャルにすらなれないことに悲しみを覚えていた。女を抱く・・・イメージするだけでも気持ち悪かった。私はレズビアン疑惑なんかもあったのだが(すぐ女子に抱きついていたし、巨乳ハンターの真似して胸揉んでたから)

レズビアンになろうと努力していた。レズビアンになれなくて悩んでいる」

とはたぶん誰も思っていなかっただろう。もちろん、当然、自分として正しい姿は女を好きになることなので、男なんて好きじゃねーよ!感を醸し出していた。だけどすごい男子が好き!ああ、もうむっつりすぎてまじで気持ち悪かった私。

 

結局私は女子を好きになれることもないまま、おとなになっていく。

 

私が性適合手術に興味が無いのは、そこの要素が大きい。男性になりたい、といっても、手術をしたことで、男になんてなれないわけだ。もちろん、イチモツを手に入れることはできるだろう。だが私にとってもっとも重要なのは「そのチンコはちゃんと経ちますか?ちゃんと射精ができますか?」という1点。いやまあ、おしっこがちゃんと出せるのかも問題だ。

とにかく、頻尿だったり脱腸だったりと泌尿器科的にそもそも貧弱な私は、性器をいじる勇気はなかなかもてない。何に変えても性器を変えたいと思えないのは、やはり、性別違和がただ単に弱い可能性もある。泌尿器系のトラブルはたぶんすごい惨めだと思う。

 

ともかく、ほしいのは誰かや自分が見て男性だと認識できる性器ではなく、男性として機能する男性器。女の子に挿入ができない、男の子にも挿入ができない、そんなちんちんは求めていないのだ。

子供の頃から一貫しているのだが、ストレスなく、安全に、セックスをしたいわけで。そう考えると、自らの臓器に手をかけるのはやはり、抵抗があるし、女性の体であるという恥ずかしさというか、後ろめたさみたいなものはあるが、なんとか性行為は出来ている。

 

最近もしかしたら、と思うのは男性ホルモンを打てば、女性が好きになれるかもしれないなということだ。人を好きなるのに、性別なんて関係ないし、身体さえなければ女性のことも好きになっているかもしれない。なにより、私は女性の自分の体が嫌いだから、同族嫌悪的に女が醜くみえるだけかもしれない。

。。。と思ったけど、まあ、治療してみないとわからないよねー。そんなの。

 

それともう一つ、最近、気がついたのは、私は、性行為のとき、なるべくしゃべらない。言葉責めも嫌いだし、鏡にうつる自分の姿も好きじゃない。ハメ撮りなんて言語道断。なるべく、この体を忘れて、信頼がない相手とは、セックスすることへの恐怖心が強い。なぜ皆誰とでも軽々とできるのか?意味がわからないと常々思っている。あと、女性は、露出の多い服を着たりして男性を誘惑するようなことをして楽しむ。それも理解できなかった。恥ずかしくないのかな?と。

 

 

やっぱり女であることへの後ろめたさと恥ずかしさがあるのかもしれないな。

 

いつか、私も女をファックして、男と酒でも飲みながらファックした女の数とか競い合いたいなと思うけど、ファックできるちんちんもねえし、女をトロフィー扱いする厚かましさも、酒を分解できる肝臓もねえ。あーあ。どれとったって、結局、男になんてなれやしないわけで。しかも仕事もできないから、バリバリも働けないよ。あーあ。