育て直し(自分を)

どうやって生きていくのかぼんやり考えるブログ

低学歴男子に知性を求めるならオタクが狙い目…?

精神的に不安定になっており、仕事をまったくしないでひたすらネットサーフィンと惰眠を貪ることにした。何も手が付かないし、頭をつかうのが本当に無理だった。身体の重さもひどい。

んで、そんな中、鈴木涼美の記事を見ていた。

gendai.ismedia.jp

この手の記事を読んでいると、ほんっとーーーに我が夫を思い出す。

我が夫は高卒だし、ヘビースモーカーだし、酒ガバガバ飲むし、意識が全くたかくない。

news.livedoor.com

家のゴミで地域の安全性やら文化度が知れる・・・みたいな記事があったが、うちの夫は確実に世田谷区のゴミじゃない生活をしている。

本もあんまり読まないし、世界情勢の情報収集もしない、高等遊民度ゼロ。

彼の庶民っぷりに時々「うわー…」と思う。これが俗にいう庶民なのか、と。

(ちなみに言っておくが私だって間違いなく庶民だ。だが、どうもネットで見るいわゆる大学に進学しないで就職する層とは違うところで生きていたように思う。高校、大学が私立だったからかもしれん。基本的に友達は皆大卒だし。)

知らないこともすごく多い。ニュース番組とか見てると「TPPとか何?」とか普通に聞いてくる。圧倒的に一般常識の知識が少ない。

 

でも…めちゃめちゃ文化的で理知的なのだ。たぶん、興味がないだけで、ちゃんと勉強すれば、知識を仕事に生かすだけの能力もある人だ。野心が全くないが、地の頭がいいのが彼だ。

だが、そんなことで理知的、文化的だとは思わない。彼の最大の利点は、『オタク』だということだ。

 

最初にリンクを貼った鈴木女史の記事内で紹介されている女性が、彼氏の「英語が話せないマジないわー」エピソードをこう語っている。

ブロードウェーの『シー・ラブス・ミー』の話が出たのね。どんな人でも高校出てたら意味のある文章に聞こえるタイトルが、彼の中だとただの呪文なの。シー・ラブス・ミーって聞いてさ、アイマイミーマーイ!みたいなおまじないのセリフだと思うのって重症じゃない?」

 たぶん、もしこの彼がオタクだったらこうなることはないだろうと私は思った。

私の夫も英語が話せないが、子供時代からの生粋のスターウォーズ好き、アメコミ好き、アメリカドラマ好きだからか「ガッテム」の発音だけは妙にいい。

というか、日本で未発売の北米ゲーム(call of dutyは北米版の方が日本語版より先に発売していた。)を1秒でも早くやりたいとネットで購入、全部英語のゲームをやり「北米鯖重い…クっソ、かてねえ…!」とぼやきながらプレイしていた。

何気なく「スーサイドスクワッドのタイトルの意味さ、スーサイドが自殺で・・・」と私が口にすると「スクワッドって部隊ってニュアンスでゲームで出てくるから、決死隊とかになるのかな?」と、先に答えを言われた。軍隊用語への偏りがひどいが、実践(遊ぶ上で)で磨かれた語彙力がある。(※決死隊という言葉は英語では別のフレーズみたい)

 

さらに信長の野望もやりこんでいたので、「オレは歴史は嫌いだ」と言いながら戦国武将の戦闘スタイルや戦闘時の相性はたぶん私より絶対詳しい。

 

ザ・低学歴でも、オタクだと、高学歴と遜色ない知性を持っていると思う。だから高学歴の人にもオタクはおすすめだ。
そもそも高学歴といっても文系だったら日東駒専以下くらいの大卒だったら高卒と大差がないから、たぶんそもそも学歴で会話の噛み合わなさって差を感じないと思うんだけどな…。

ただ、残念ながら、

この世は9割の強引な男が好き、という女と、1割のそうでもない女でできているということだ。田嶋陽子先生の血管がはち切れそうだが、女はなんだかんだついて来いという男についていきたい、というところから抜け出してはおりませぬ。

低学歴で、英語の(語彙力が堪能ゲーム用語のみ)でもやっぱりオタク(我が夫)は「ついて来い」という男でも、強引な男でもないので、たぶん、9割の女性にはモテないんだろうとは思うけど。 

ウェブ時代だからこそ?

暴力をメインカルチャーのエンタメにするのはそろそろ辞めたほうが良いと思う。
そう思ってくれる人がたくさんいるんだなーと思えた正月だった。

blogos.com

この記事自体は「ベッキーが殴られてるのなんて、テレビ業界の内輪事情は今更ほっとけよ」というものだが、騒動について色々記事を網羅しているので、乗せておく。

個人的には、90年代のお笑い芸人たちの暴力的な笑いはどうにもすきになれなかった。ダウンタウンも、とんねるずも好きだったが、暴力的な部分はどうしても、白々しい気持ちになってしまったし、人を馬鹿にして笑いものにする笑いはどうにも好きになれなかった。でも、テレビだとそういうのが多いから、そういう番組は見ないようしていた。

今回、この一連の炎上騒動で、ベッキーが嫌がりながらキックされる様は、見ているだけで不快だし、その上「レイプ物みたいで勃起した」というクソリプを見かけてからは本当にレイプにしか見えなくなってしまい、不快指数が爆発的に上昇した。

「女性が暴行される」という批判の仕方もあるが、やっぱり、私には、いじめそのものに見えてしまう。公共の電波で、悪いことをした人に暴力を振るって笑いものにするのは(加害者が考える善悪の中で)悪いことをした人間は暴行を加えていいという理屈を見る側に伝えてしまう。それは90年代のころから批判され続けて来たし、皆が皆そうなるとは思わなかったが、それでもいじめの現場では加害者の罪悪感を「こいつ悪いことをしたんだから制裁を加えて何が悪い」という理屈で押さえつけるものにはなるだろう。

なによりも、嫌がる人に与える暴力が笑えるというのが、やっぱり私には理解ができない。なんで、痛い思いをしている人をみて笑えるのだろう?

 

出川さんも同様の理由で嫌いだ。彼の素のうっかりを周りはバカにして笑う。運動神経悪い芸人も同じだ。なんで、笑うのだろう?そんなことで笑われたら、人は頑張れないし、成長できない。

なんで人の失敗を笑うのだろう?なんで人の恥ずかしい様をみて笑うのだろう?

私はバラエティ番組は好きな方だが、そういう笑いは昔から苦手で、いつもチャンネルを変えていた。

でも、昔はそんな私の不快感はあまりにもマイナーな気がして、口にだすことはできなかった。でも、私のような感性の人が、声を上げられている。

 

それはちょっとうれしいことではある。

暴力を見て痛いと感じて、人の恥が笑われているのを見て、屈辱を感じる、そういう感性の人はマイノリティなのかもしれないが、ウェブでは声を張り上げることが許される。それはきっとウェブ時代だからこそのいいことな気がするな。

(人権問題とか、いじめを生む、そういうのはとりあえず脇に置いておいて、ね)

新婚に苦言をいいたい既婚者

この虚無感とこんなものが世の中に出回ってはいけないと思う気持ちはなんなのだろうか?

cakes.mu

ケイクスの恋愛泥沼系インフルエンサー(推測)の2人の対談で、2人が恋愛結婚至上主義をぶち上げている。

そこまで好きにならないと、結婚はできないという呪いを世界に向けて発信しているようで末恐ろしい。

私が読んだ印象として、2人は共通して、

  • この人なら結婚したい、結婚してもいい人と出会えたから結婚した
  • それ意外の相手はそこまで思えなかったから結婚に至らなかった
  • 結婚する前にとことん色んな人と遊び倒したほうが良い

というようなことを言っている。まったく目新しいことは言っていないし、新婚ののろけ話そのものだ。

もちろん、愛のある結婚は素晴らしいし、そうであっていいと思うけど…そこまでの人じゃないと結婚相手にする価値がない、そこまで思えない人は遊びまくって捨てていいと言わんばかりの雰囲気で、ちょっと不愉快だなーと。

自分は選ぶ立場にある立場になってる上から目線も腹が立つ。交際は結婚相手を探すための選考会でも試食会でもないだろう。人の人生をなんだと思っているの?と問いたくなる。

 

そう思うのは、私の中に非モテがいるからだと思う。ここでいう非モテというのは、自分に選ぶ権利はなく、選ばられる側にいるという感覚。だから、2人のように、「だからこの人を選びました!」と言われるとどうしても「だから私は選ばれない」というすねた気持ちが湧き上がる。

もちろん、私も既婚者なので、相手を選んだ理由的なのはあるんだけど…私は付き合う相手=結婚相手、セックス1回=結婚という感覚を常に持ち続けてきたから、別段「この人だから結婚したい」なんて思ったことはない。好きになったら付き合いたい、結婚したい。

恋をする相手に対して、それは誠意がなさすぎやしないだろうか?というか、逆かもしれない。結婚というものがあまりにも理想化されているような印象が、結婚願望がある読者を不幸に陥れているような気がしてならないのだ。

既婚者ならわかると思うが、結婚は生活そのものだ。恋だとか、愛だとか、好きだとか以上に一緒にいて心地よい、相手の生活やリズムを慮ることがなによりも大切なことだ。

2人が語っていることは新婚の舞い上がりばかりで、生活共同者について全然語られていない。トークテーマを恋愛にしぼったのかもしれないけど…文章をそのまま受け取ったら、結婚は息苦しいものになるし、結婚してみて「これじゃない」感じが募るのではないだろうか?

結婚も恋愛も交際も、同じ「パートナーとしてどうか」基準で考えるべきだと思う。

どんなに外で遊んで「もういいや!」と思ったって、10年、20年、30年と同じ人と暮せば、どうしたって飽きるし、どんなにセックスの相性がよくったって、他の人が気になったりしてしまう。好きだから、この人しかいないから、なんて基準で選んだって結局遊ぶ人は、遊ぶよ。生活である以上、必ず飽きは来る。

遊び倒してから結婚なんてしなくていい。遊びたいんだったら結婚してからだって遊んでも良い。結婚は特別じゃない、生きる延長線上の出来事でしかない。結婚は、周りが2人を公的に認めてるだけで、本質的に2人が変わるわけでもないんだから。

20代、私はたぶん病んでいた

人は人生の中で何回失敗するのだろうか?私はけっこう失敗している。

マジで失敗の頻度が人より多い気がするし、正直、死にたいし、なんでこう、いつもこうダメなんだろうか、と落ち込む。

それでも、20代のころよりは、私は強くなったような気がする。

また今年もそこそこでかい失敗をした。だが、ちょっと不可抗力みたいなところがある失敗だったので、そこまで大きなダメージを追わずにすんだ。だが、ふと、20代の頃の失敗を思い出した。

27歳くらいだったと思うのだが、色々と失敗をやらかして、手が回らなくなっていた矢先、取材相手にキレられたことがある。

キレながらも、相手は対応してくれたが、本当に手が回っていなかったので、私はその取材相手とは電話でしかやり取りしかできず(地方だったから)電話で平謝りをした。

後日、その地方に別件の出張で行く機会があった。私はどうしてもお礼と謝罪がしたくて、その取材相手に会いに行った。

だが、なぜか、謝罪をするはずが、取材相手を前に、大号泣したのだ。

わざわざ時差で挨拶にいった私に対し、取材相手がたぶん「大変でしたね」という、些細な一言を言ってくれたことに、張り詰めていた私の中の何かが決壊した。

必死で涙を止めようとしても、どうしても、どうしても溢れてきて、平静を保とうとしても、涙も嗚咽も止まらず、何も言葉を発することもできなかった。

私の心は、焦りながらも、自分の身体を呆然と見つめていることしかできなかった。そりゃそうだ。初対面の相手の前で、号泣って。私の心は焦りまくっていたが、身体はもう、自動運転モードというか暴走モードというか、完全に、私の自我ではコントロール不可。高ぶる自分自身が静まるのを待つことしかできなかった。

そして、なによりも、もう待とう、と思えたのは、取材相手自身が、ただ静かに、私が泣き止むのを待っていてくれたからだ。

正直いって、めちゃくちゃ恥ずかしかった。もう、その方には二度と会えないと思った。今考えれば、それでもう二度と会わないのは失礼なのだと思うのだが、だからといって、もう10年近く経つのに今更会いにもいけないし、会う理由もない。あれは謝罪の形としていかがなものだったのだろうかとも思う。

 

なぜあの場で大号泣したのか、あそこでなぜ張り詰めていた線が切れてしまったのか、たぶん、本当に色々と限界だったのだと思う。その人は、何も咎めず、何も触れず、私が落ち着くのを待ち、励ますことさえなかった。たぶん、だからこそ、糸が切れてしまった。この人はわかっている人だという安心感が、感情の決壊を招いたと思う。取材相手なのに、すがってしまったようで、自分の狡猾さが恥ずかしかった。

本当に静かに、私が落ち着くのを待ち、静かに送り出してくれたことを、私は心から感謝している・・・からこそ、ちゃんと会いに行くべきな気もするが、まあ、ね。その辺は会う理由もないし。

 

あの頃に比べれば、私はきっと強くなったと思う。自分が弱いことを知ったし、傷つきながらも仕事ができないファック野郎でも、生きていていいとたぶん、どこかで思うことが出来ている。

・・・ああ、書いても書いても何がいいたいのか分からないわ。

だから何なんだ?

でもま、私はあの時の取材相手のように、誰かが壊れそうな時、壊れないように、横たわってこられても、支えてあげられるような木になりたいなと思う。押し返したり、一緒に倒れたりしない、強くて優しい静かな木に。

そう思えるだけ心が回復してきているの、かな?まだあと50年くらいきっと生きなきゃいけないから、もうちょっと頑張ろう。

憂鬱暴風域、発動

私の心は本日もどんよりしております。世間は秋晴れ。

私のメンタルは本当に些細なことで傷つき、大荒れとなるのです。バタフライエフェクトもびっくりですね!

憂鬱で仕方がありません。

ひょんな世間話から、夫が、びっくりするほど私のできないことをわかっていると知った。

「オレが勤めている会社では君ができる仕事は・・・うー・・・ん・・・。
ずぼらだし、時間守れないし、飽きっぽいし、マメさもないし…うちの会社に君は雇えないかな。
まあ、面接は通るだろうけど。半年に1回あるストレスチェックで毎回ひっかかって、上司を悩ますだろうし。」

わかっていらっしゃる!

そう、私は人当たりはいいし、パット見はこいつ使えると思ってもらえると思われるのだが、実際日々雇う立場としては、使い勝手が悪い人材だ。

メンタルヘルスはすぐ悪化する、新しいものに興味は持つが継続力がない、時間にルーズ、めんどくさがり、気立てが悪い。

雇用者としては本当に価値がない。

おそらく資質としては経営者側だと思う。

新規開拓や、新規事業のアイデアは出せるし、好奇心旺盛で情報収集にも前向きだ。だが、致命的な欠点がある。

メンタルが死ぬほど脆いのだ。

上にたって誰かを先導するリーダーシップ力もない。大見得を切って人をひっぱっていけるメンタルはないし、資金集めもできない。確信を持つことも、上にたつこともできないわけで。正直言って経営者の2大仕事は、金集めと人材集めだと思う。

金も人も指針をぶち上げて信頼させられないと集まって来ない。

つまり、多少の大見得が切れるメンタルの図太さ、大胆さが必要だ。

ついでにいうと、指針を作るための努力(緻密な計画や、リサーチとか)を自分にしいるほど、そもそも自分が自分を信頼していないと来てる。それは、怠慢な性格か、メンタルが弱いせいか、は分からないが。

だから今だってプロジェクトを立ち上げる時に、私を信じて、力を貸してくれて、アイデアをまとめ上げるサポーターがいないと全然まとめられない。頭では大丈夫だと分かっていても、一瞬にして不安が襲ってきて「やっぱりダメなんじゃないか」「なんでこんなことやってるんだろう」「本当に私はこの道であってるんだろうか?」と不安になって、立ち止ってしまう。で、身動きが取れなくなる。

色々足りていない。それは仕方がないことだと思う。個人事業主だらけの世界で、どれだけの人間が大成し、黒字経営をできているというのだろうか。個人事業主、経営者なんてやつの半分ちかくは兵隊(被雇用者)としてやっていける能力がないから、独立しているだけではないだろうか?いや、そんなことないかもだけど。

 

はー・・・それにしても、夫の話はともかく、世の中には私ほど働くことに悩んでいる人ばかりじゃないと思うと、本当にうんざりする。病気や大きな手術をした人でも継続して働けている人がいたりするわけで。健康そのものなのに、私は全然働けないんですけど。

なんなんですか、この差は一体何なんですか?私はなんなんですかと思ってしまう。

朝は起きれないし、睡眠時間は長いし、心が張り裂けそうになるほど決断が辛い。働きたくない、だけど、働かないと生きている心地がない。

もし夫がいなかったら私は生活保護なしでは生きていけないだろう。

働く女性の貧困の記事を色々読んでいたらまた不安に襲われてしまった。


今生きているんだから、仮定法で悲観にくれてもしょうがないんだけど怖くて仕方がない。生活保護を受給したとしても、先立つ金がなく、国家の金で飼いならされるかと思うとゾッとする。どんなに抜け出したい、自分で金を稼ぎたいと思っても生活保護受給になったらきっと抜け出せないだろう。ただ、自責と自堕落とで、身動きが取れなくなる気がすごくする。

はぁ。こういうバカな妄想も含めて、全部、全部発達障害の特徴になかったっけ?

なんでこんなに私は生きづらいのだろう。傍から見てたらそんなふうには見えないと思うけれども。

自分の社会不適合者ぶりに今日も憂鬱で仕事が手につかない。

どんくさい自分を自覚

憂鬱再燃。

短い…あまりにも短くないか。ポジティブになれる時間が。

私は最近、自分がかなりのんびりさんなんじゃないか、と気が付き始めた。

いつも焦っているのは、実は、自分が遅いから、焦らせないと社会についていけないと思っているからではないかと思い始めた。

考えてみたら身体の色んな数値も遅い。

血圧は低い、脈は遅い(徐脈)、心拍数も遅い、生理周期も長い(一般的にだいたい1ヶ月位で生理がくるようだが、私は、1.5ケ月くらい来ない)、睡眠時間も長い、歩くのも遅い。

生理的な部分は基本的に人より全部時間がかかる。

しかも、ノロマで、所作も遅いのだ。決断力もない。そんな自分がいやで、変えようと必死になっているから、焦っているんじゃないだろうか。

と、客観的になれたのは、ここ数日のような気がする。

一つ一つ、分かっていたし、知ってもいたが、認めたくなかったのかもしれない。

いや、認めたくないわ。私、認めたくないけど、どんくさいし、要領悪いんじゃね?って認めたいやついるかよ。認めたくないから必死に行きてんだボケっていう。心拍数とか生理的な部分も含めて色々全部遅いから認められたようなもんだ。

まあ、認めたところで、何が変わるかわからないけど。焦るなとはいえるのかもしれないなー。

生き急ぎ過ぎている

憂鬱が一応一段落した。
仕事したくないけど、まあなんとかギリギリ自分を抑えられている感じだ。

どうしたら仕事がしたくない自分を受け入れられるか、自問自答中だが。

最近見たアニメでFate/Zeroがある。アマゾンプライムビデオで無料配信だったから見てみた。 

 内容はディルムッド激萌えとか、イスカンダル惚れるとか、ギルガメッシュ身悶え、とかとかもう、クッソ面白いんじゃが!!と、ついついノッブの口調になっちゃうくらい。だが、そんなことは全部ここでは割愛する。けっこう響いたのは、イスカンダルに諭される高校生のマスター、ウェイバーの存在だ。

Fateというのは、なんでも願いを叶えてくれる聖杯をめぐり、7人の魔術師(マスター)たちが、歴史上の英雄を使い魔(サーヴァント)として呼び出し、殺し合う物語だ。

7人の魔術師はいわば世界最高の選ばれし7人。その7人の頂点に立てれば、それは世界最高の魔術師と言えるのだろう。
魔術師の学校にかよっていたウェイバーは、優秀だが、魔術師としては教師や周りから全く認められていない存在だった。そんな状況を打破しようと、魔術師の頂点である聖杯戦争に力技で参戦。彼が呼び出したサーヴァントは強大な力を持つ英雄、イスカンダルアレキサンダー大王のことらしい)で彼はイスカンダルを制御しきれず、事あるごとに「バカにしやがって!」「見返してやりたい!」「僕のことを認めさせてやる!」と卑屈になる。

若く未熟な少年に私はガッツリ共感してしまった。成長とはどうしても時間がかかるものだ。年単位、数年、十数年…。それを実感するのは、すっかりおとなになってからだったりする。だが、年若い内は「明日!来年、ていうか今この瞬間!!人に認められたい!!求められたい!!!」とただただ駆り立てられる。

認められるためだったら、死んだってかまわない、そんな愚かさがある。

そんな高校生マスターに対して、イスカンダルは諭す。現状把握が出来ている、だから焦る、だが、それは成長する可能性を秘めている、だから、そう行き急ぐなと。

高校生マスターは事実、優秀だが、未熟ゆえに見逃す情報や好機も多い。視聴者的には、それは彼の能力不足というよりかは、ただの経験不足だと何となく分かる。場数を踏めば、おそらくはそれなりによい魔術師になる素養はもっているのだろうなと、Fateの世界観が分からなくとも感じられるシナリオだ。
そんな、アニメ上のやり取りを見て、彼の未熟な焦燥感は、私のそれそのものだなと痛感させられた。私はずっと焦っている。今を見ようとしていないのだな、なぜこうも、私は焦ってばかりで、足元をしっかりと見ようとしていないのだろうか?とおもってしまった。

もちろん、気がついたからって、自分の多動性が治るとは思わないが、もう少し、自分を認めてやっても良いかもなーと。

 

どうでもいいが、シナリオを担当しているのは虚淵玄だった。またお前か、虚淵玄虚淵さんが持っているテーマはいちいち刺さる。未熟さ故に不安定な若者の心象の描き方がリアルだ。焦燥感、無力感、絶望感…今の時代を生きる人間が、漠然と抱える闇を見事に描き上げ、共感させ、救いを与えながらも、その闇の深さゆえ、主人公たちを容赦なく絶望の縁に叩きつける。必要以上に主人公に救いを与えないシナリオだからこそ、彼の作品はこうも私の心を慰めて、奮い立たせてくれるような気がする。

 

PSYCHO-PASSもちゃんとみたいな~。