大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

あーそうか、私の中の小さな学歴コンプレックスがくすぐられたんだな

私のクソ読みづらいブログに学歴について書かれたブログ主さんがコメントをくださった。とてもうれしいので、自分としても全力で答えたいと思う。

(全部書いた後ふと我に返ったのだが、そもそもこんな私のつぶやきを普通に考えたらわざわざ読まないんじゃないかという…。さらに最終的に書いて気がついたんだけど、学歴コンプレックスをそもそも私自身が内面化していなければ、件の記事を読もうとすら思わなかっただろうなぁ。)


言及ありがとうございます。ですが、できればコメント欄含めもう1回だけ読んで欲しいと思いました。だいぶ誤解されています。私の文章力のなさのせいですが。 - kanchi_guy_nice_guy のコメント / はてなブックマーク

全てはブレスオブファイア3が教えてくれた - 育て直し(自分を)

言及ありがとうございます。ですが、できればコメント欄含めもう1回だけ読んで欲しいと思いました。だいぶ誤解されています。私の文章力のなさのせいですが。

2016/10/07 18:20

コメント欄を含め読んでほしいということだったので、読みました。

結果、読んだ印象の感想はあんまり変わりませんでしたが我ながら色々言葉が足りなかったんだなと思いました。

 

オリンピックを見ていていつも思うことがある。

「夢は叶う」「努力は報われる」

そう金メダルを手に笑顔で語る。だけど、そのメダルを取るためにその人はどれだけ膨大なひとの夢を握りつぶしてきたのだろう、とありきたりのストーリーに胸糞が悪くなる。

以前運動生理学の学部に運動と心理の関係を取材した際、実はアスリートの鬱は深刻だ、ということをきいたことがある。一般的な文脈で、中程度の強度の運動は鬱に効果的で、運動は万能の秘薬とさえ言われる。だが、トップアスリートで鬱にかかった人は、その秘薬はまったく効果を発揮することなく、ときに、鬱は重度のレベルに達し、自殺に追い込まれることも少なくない。

他人と比較して、競うものは全て必ず多大なる敗者を生み出す。

スポーツ然り、選挙然り。そして学歴然り。

全ての人間が一流大学に入れるわけではない。二流、三流大学だって、親が金を持っていなければ入ることさえかなわない。

子供の頃、同級生は、特別支援学級の子以外は皆同じ能力として扱われる。だが、残念ながら人には必ず得手不得手がある。スポーツの分野ではそれは結構認めてもらえるが、事勉強になると個人差がすべて「努力」の名の下になかったコトにされる。

私が尊敬する人に、学歴に固執して10代〜30代を棒にした人がいる。

死ぬほど勉強して地域で一番の進学高に入り、休み時間も休まず勉強し、絶対トップに立てると思った定期テスト。結果は学年2,30番目くらいに。青春全てをついやすガリ勉なのに、同級生に勝てないと、クラスに居場所を無くし、不登校、ひきこもりに。まともな定職につかぬまま40代なう。という人がいる。その人はめちゃくちゃ頭がいい。めちゃくちゃ喋りが面白い。トークの切れ味が半端なく、その話術に魅了されてしまい、尊敬している。彼の家族が学歴信奉者でなく、彼自身がそのトーク力をいかした道を見つけられていたら…。

あ、違う道にそれていたら、私は彼に出会うことも、尊敬することもなかったから、挫折の道を選んでくれて私的にはよかったんだけど。

 

学歴は相対判断でしか無い。というか社会の価値基準の多くはほぼ相対判断。運動能力、仕事ができる、頭の回転が早い、収入が高い、いい家に住んでる、いい女、いい男と結婚してる、…世の中の価値基準は全て他人がいてこそ。

あ、そんなこと当たり前、わかってて言ってるよってことですよね。ごめんなさい。

 
学歴は、記憶力が強いものが勝者となるだろう。

その能力が低いものは不利だ。

私はおそらく雑な記憶力を持つある種の学習障害を持っていたと思う。そのため、中高と全く英語数学ができなかった。

高1のときに、勉強して望んだはずの数学で100点満点で6点を取り、英語はhobby一つ覚えられず、いつも赤点。
大学でも入って一番まえの席で毎回真剣に授業を受け、予習復習を欠かさなかった中国語はどんなに勉強しても可、可、可。中国語は大好きだったが拼音のスペルが正確に覚えられず、さすがに絶望した。
ざっくりと概要を理解すれば大抵なんとかなる理科とか社会とか国語は勉強しなくても普通以上の成績をとれたし、大学での成績は(中国語以外は)たいてい優だったおかげか、必要以上に自分を卑下することはなかった。だが、当時流行っていたこっくりさんに「高校行けますか?」ってきいて「はい」と言われ、私は絶対中卒になると確信するほど自分をバカだと思っていた。

だが今、自分のことをあんまりバカだと思っていないし、頭がいいとも言ってもらえることもある(左右分かんないし、年号年齢の計算は指で数えないとできないけど)。

 

おそらくは学歴社会のせいだろう。
子供時代成績が良かった人は、子供時代の成功体験を糧に生きていけるだろうが、子供時代成績が悪かった人は自分をバカだと劣等感を引きずり続ける。多くが勉強のできるできないによって心にしこりを作っている。

 

当たり前の話だが全ての人間が同じスタートラインに立っているわけではない。だからといって努力をして学歴社会を勝ち抜いてきた人がずるいと言っているわけでもない。ただ、スタートラインの小さな差異は最上位行くほど意味のある差異になることをちょっとだけ思い返してほしい。

 

努力だけが結果を導き出してくれるのは、健康のためのジョギングくらいなものだろう。だって人間は走るために生まれてきたから。私も走り始めた時、どんどん総距離が伸びた時、筋肉は努力を裏切らないと確信した。

 

そもそも私は、学歴があった方がいいと思っている。自分の年収次第だが(もし子どもが生まれれば)子どもには大学に行ってほしいとも思っている。友人も視野も広がるし、なによりもモラトリアム期間が伸びるし。勉強が苦手だとしても、子どもに学歴を買ってあげられたらそれは親冥利につきるというものだろう。日大レベルでも大学で学んだことはやっぱり面白かったし、一流大学ともなれば、しびれるように面白い研究も多い。ただ、本人が勉強を愛せないのなら、無理に進めないつもりだ。もちろん、勉強する面白さ意義は伝えていくつもりだが、それでも、その人にとって人生に絶望するほどの苦行であるのならば、人生を楽しいと思える道を探す努力をしようと思う。それはお子さんがおられる身であれば言わずもがな、でしょうが。まぁ、子どもがいない私がいっても説得力は無いとは思いますけどね。妊娠できる確証もないし。学歴のない人がいっても説得力がないのと同じ論理でしょう。

(ただまぁ、私の子だから学歴だけじゃ絶対勝負にならないから違う戦術を考えろとはいうと思うけど。)

 

学歴問題にみんな首突っ込みたくなるのは、高学歴も低学歴も学歴コンプレックスをこじらせているのだろうな。

最後に。コメントをくださって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。ただ、私は、批判したつもりはなかったのです。いや、アイロニックな表現が多かったから、不快だったかもしれません。申し訳ない。それと、書かなかったけど、精神を病むほど勉強したわけでもなく、高い学歴を得られたのであればその生き方はあなたにとって最適解であったんだろうというのも理解しております。

ただ、ブログを拝見していて、競争社会に打ち勝ってきたからこその、勝者の哀愁のようなものを感じたのです。私自身の中にもある、相対評価の中で一時勝てても、いつ振り落とされる変わらない、いつ見下される変わらない恐怖感を、思い起こさせたのです。(劣等感の塊なので)

それでも、そんな自分の成功体験を強固にするために、敗者を努力が足りなかったと批判せずにはいられない批判精神。自分がどん底に落ちた時、その批判精神は自分自身に向き、徹底的な自己否定が始まるわけです。そこで私は、もう相対評価の世界からは降りて、自分自身を内省と思ったんですけどね。で、このブログで、己の過去や、思いと向き合っている次第で。

それにしても、私のような焦点が定まらないブログを読んでくださってありがとうございました。嬉しいものです。久々に気合入れて記事書きましたわ。

 

関係ないけど、私、ブレスオブファイア3、3つも貼り付けすぎっすね。

人は走るために生まれたの?の詳しくはこちらまで↓

 

 

 

全てはブレスオブファイア3が教えてくれた

なんか、学歴トークがもりあがっているようで、私も仲間に入りたいと思う。
結論から言えば「学歴に捕われたら、大変だと思う」だけ。
私は日大という、知名度だけはやたらあるけど、頭が悪くても親が金持ってれば入れる大学卒なので、あまり学歴コンプレックスを持っていない。
高校入試も、ほぼ落ちないと言われた付属高校の出身だし、大学は、部活動(文系)で校長推薦をもらっていたので、落ちるリスクはかぎりなくすくなかった(もちろん少しは勉強はしたけど)。結果、学歴コンプレックスがほとんどない。日大という無駄にOBが多く、どこいってもそこそこでかい顔ができて、しかも、推薦のため皆と比較の少ない世界で生きてこられたせいだろう。
(スポーツの推薦ではなかったところも、人から比較されなかった点で特殊だろう)

だから東大生だろうが、一橋だろうが、早慶だろうが、強烈な劣等感を抱かない。もちろん、別格だなと思うけど、遠い世界のことに思える。高卒の人が「大学出てるんだ―すごーい(他人事)」って言ってる感じに近いのではないだろうか?弊害として大学名をほとんど知らないんだけど。

 

www.ikemenmusuko.net

 

ここまで学歴社会を内面化、っていうかなんか誇りに思っている人を見ると、素直に大変だなと思う。たぶん、学歴がないと生きていけない社会で生きているのだろう。ただ、残念ながらそれが全てではないよ。と言ってあげたい。もちろん、会社組織でトップに立つためには、学歴が必要になることもあるのだろう。テレビ局の子会社の役員には大卒じゃないとなれないらしいし。

学歴があるだけで仕事を評価してくれる業界にいるんならそれでいいと思う(どんな業界か、ちょっと想像つかないけど)。あと、大学教授とかを取材する場合は、大卒の方が絶対話が通じるし、交渉もしやすい(教授の生活リズムがイメージできるから)

でも、世の中のすべての業界に学歴が必要なわけじゃない。

 

昔、ブレスオブファイア3というゲームがあった。そのゲームの中のミニゲームで、妖精さん達の街を作るゲームがあった。その妖精さん達の街を建築するガテン系、どのように発展させるかを考える学者、食料供給をする農民の3種類の妖精さんたちをバランス良く育てないと街が成り立っていかなかった。

ついつい、学歴こそすべて、頭脳こそすべて!と思ってしまっていた私は学者ばかり妖精さんたちをあてがい、全然街が発展せず、なんというか、変な気持ちになったことがある。

皆学者になれたらいいけど、学者は、今目の前の社会を作るにはチカラが足りなすぎるのだ、と。当たり前なのだけど、すべての職種がなければ社会は成り立たないのだなと、痛感させられた。

 

社会は、学歴だけが必要な職種だけじゃあ絶対に成り立たないのだ。

ココロの中で高学歴な人は学歴のない人をきっとバカにしているんだろうけど、学歴で重機は扱えないし、学歴で食料も育てられない。社会を構成する一部でしか無い。学歴は金と同じだ。武井壮が、金は、クオリティではなく、人が求めるものに答えたことで得られる、相対評価の結果だと言っていたのが、印象的だったが、学歴も、相対評価でしかないのではないだろうか?

kansaigaidai-alumni.com

学歴があっても、学生時代どんなに勉強で努力をしても、起業アイデアが実現可能なものでなければ社長として利益をあげることもできないわけで。

学歴は武器にはなる。人間社会にとってけっこう重要な相対評価の基準をクリアしてきたわけだし。だけど、学歴だけでは戦えないわけで。

そりゃあ、学歴や金があれば確実にでかい顔ができるし、尊敬もされるし、発言力もでかいだろう。だけど、社会はそれじゃあ発展しないんだよ。ブレスオブファイア3の妖精さん達の街みたいに、農家も、ガテン系もいなきゃ、始まらない。


学歴は本質じゃない。そんなことは、社会に出てたら分かりきったことだと思うんだけど。

 

ブレス オブ ファイア III

ブレス オブ ファイア III

 
ブレスオブファイア3 公式ガイドブック

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ブレスオブファイアIII必勝攻略法 (プレイステーション完璧攻略シリーズ (62))

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そんな会社辞めちまえ!と言える収入がほしい

夫が昇進しそうである。本来ならば喜ぶべきことなのだが、昇進するたびに、顔色が悪くなり、しんどそうな彼を見ていると「昇進したら死ぬんじゃないかな」と思わせるものがあって、できれば辞めてほしいと思う。

今回は、次長から課長になるなんてもんじゃない可能性がある。部長とか役員になる可能性もある。なぜなら

彼の部署の部長兼役員がその役職を辞退したからだ。

 

辞退である。自ら降格したのである。ぞっとする。チーフだかなんかの職についてる夫でさえ、毎日ぐったりして帰ってくる。連続30時間以上起きてるのに、疲れすぎて眠れないくらいなのに。

もちろん、すぐに部長や役員になれるわけじゃない。たぶんポストの穴埋めは誰かがするのだろう。だけど、

 

役員を辞退って。

 

どんな激務だよ。

もうそんな会社辞めちまえ!といいたいけど、私が、全然収入が安定しない。悲しいくらい仕事が決まらない。安定収入を得られるまでは、「辛くなったらやめていいからね?」と弱々しくしかいえない。
(しかも辞めたからって働かなくていいというわけではなくフリーランスになっていいという意味なんだが)
年収はとりあえずあがらなくてもいい。それよりも契約の成約率をあげないと。作り手一本でやっていけるほど体力はないので、利益率の高い、費用対効果の高い契約をもっと手に入れないとな~。

浮気よりも今は健康が心配

仕事の取引先の方と、飲みに行くと夫婦の話になった。夜の店に行ったのがバレて浮気の危機、勝手に財布、ケータイを漁られ、浮気チェックがえぐい…

 

そんな話を聞き、なんでそんなことにいちいち気を揉むのかなぁと思った。

私は、基本旦那のケータイも財布も漁らない。そもそも彼は浮気のする気配もない。

監視する気にもなったことがない。むしろまだ浮気をしていてくれた方がいい。

これは一体なんなんだろうか?と思ったのだが、今私の一番の懸念は健康不安なのだ。

やつれた顔で、慢性的な寝不足で血色が悪く、すぐ寝落ちする。家に帰ってくると酒ばかり。

家では貪るようにゲーム漬け。明らかに不健康で、浮気なんてする余裕があったら寝たい、と行った所だろう。

 

彼にはそんな余暇を楽しむ時間はないのだ。

今は浮気よりも彼の体と心が心配。心配しすぎかもしれないけど、家に帰ってこない時間が仕事ではなく浮気であった方がよほど今よりはいい。

浮気をしていれば外出はもう少し晴れ晴れしているだろう。

明日も仕事か…と憂鬱そうには呟くまい。

 

浮気よりもまずは健康を。そんな気分だ。

 

たぶん、私は自己開示が苦手

最近、気がついたのだが、私は自己開示が苦手なんだ。
私は感情を人に言おうとすると、涙が出てきて、喋れなくなる。怖くて。いわなきゃいけない、いわなきゃいけない、泣いちゃダメだ。と思っても、口は開かず、喉は震えて、涙腺は緩み、脳内は恐怖に支配される。

いいたい、言わないといけない。だけど、言ったら何がおこるかわからない。

相反する感情が一気に沸き起こり、どう表現していいかわからない。

 

私の勤める会社では、なぜか「この会社で働きたい」かを、言語化しろと迫ってくる。だが、私は「働きたい」ということができない。なぜ?と言われると、「働きたい」と言ってしまうと、私は、その他のすべての可能性を捨てることになるような気がするからだ。全てを捨てて、その会社に奉仕しろ、己の心に手錠をかけろ、屈服しろ、支配下に入れ。

それを承諾するような気がするからだ。

もちろん、私は、働きたいし、ここ以外で自分を認めてもらえるとも思っていない。だが、私の気持ちを伝えることは、自分の全てを見せなくてはならないような気がしてとても怖いのだ。そんなことはもちろんないのに。

というか、たぶんなのだが、そういうことを求めているんじゃないと思う。会社側は。私は一事が万事そういうところがある。

感情を出すということは、その人の支配下に入ることで、完全なる屈服を意味するような気がする。だからこそ、気持ちを上手く出せないのだ。

ただ、怖い、服従したくない、関わりたくない。

そんな思いに支配され、深い関係になる前に、私は関係を断ち切ろうとしてしまう。

 

まあ、でも、それって普通のことなのかもしれないけど。ただ、常に怯えながら人間関係を築くのはつらいけど。

 

(私の夫は、不思議なバランス感覚を持っている人で、私が泣こうが喚こうが、冷静になるまで待ち、「で、キミはどうしたいの?」と冷淡に迫ってくる。

彼に対しては、支配されているという感覚を持たずにすむ。逆に、支配してほしいと思い彼にすりよっても、あっさりと拒絶される。

依存気質の私が、冷静に、人間関係を彼と築けるのは、彼の絶妙な距離感のおかげだ。おそらく私は彼とのこの距離感に非常に依存していると思う。)

もやもやもやも・・・

非常にもやもやしております。

ツバメくんが好きだ。話をしたい。メールを送りたい。送る。そっけない返事。

ツバメくんが好きだ。メールを送りたい。送る。そっけ(以下略)

を最近繰り返している。

 

会いたい!会いたい!!

 

と思うのだが、もうずーっと同じことを考えてぐるぐるしている。結果、「現状維持が一番いい」となる。

あいつに早く彼女ができれば、諦めがつくのに。クソ。いや、悲しいけれども。

 

いや、もうノリノリの返事が来たら来たでさ、いけないと思うんです。わかってるんです。相手にも迷惑なのもわかっているんです。だから、ぐっと我慢の子。

結果モヤモヤがたまる。

 

貞淑でありたい、潔癖でありたい。だが、現実には、そうもいかない。だからといって、不倫ができるほど衝動が強くもなく、理性にすがりついてしまう。

ただただ鬱積していく。だからとって、吐き出してしまえばいいのかと言われると、それは違うのだ。彼に振られるのも、受け入れられるのも嫌なのだ。ただ、この気持を押しつぶしていることが現状、私にとっての最適解なのだ。

実は男の不倫率は決して高くない(忘れたが)。

私のような感情なのではないか?妻が好きだ。この家庭を壊すつもりもない。家庭外の女性が好きだ。だけど、告白する気も起きない。ただ気持ちだけがほろ苦い。

というか、前の会社で、既婚男性(先輩)が、私の同期を好きになってしまい

「妻が嫌いなわけじゃない、子どももめちゃくちゃかわいい、だけど、あの子が好きなのです」とつぶやいていた。

バカな小娘だった私はショックを受けながらも「え?じゃあ告れば?」と思っていた。
今なら分かる。そういう問題じゃない。やっぱり家族や妻が大事なのだ。先輩は同期の女に自分の思いを打ち明けることもなく、同期の女は先輩の気持ちに一ミリも気が付かず「えー先輩?ないないないない、一番なーい」と無邪気に笑っていた。

(※先輩は、男として、先輩としてはちょっと、いや、かなりイマイチだったが、宴会部長としては素晴らしく優秀で大好きな先輩だった)

 

はぁ。自分の陰気な性格が嫌になるな。いや、だからといって、浮気がしたいというわけではない。ただ、ここ数日満たされない何かに心がもやもやしている。スカッとする爽快感がないのだ。なんなんだろう。

眠いしか覚えていないピアノ教室

 前々から気になっていた精神科医の泉谷先生が書いた反教育論を読んだ。

 

反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)

反教育論 猿の思考から超猿の思考へ (講談社現代新書)

 

 

残念ながらただのエッセイ本で全然おもしろくなかったのだが(主題自体はとても興味深いのだが、基本的に、精神科医の先生と酒飲みに行った時に聞けるような、ありがたいような、ありがたくないような話)はからずも心のなかに眠っていた記憶を呼び起こされてしまった。

泉谷先生というのは音楽家でもあるらしく、日本の音楽教育を極めて批判的に論じていた。中でもピアノ教室というものに批判的で、日本のピアノは音楽ではなく、我慢を強いる「ピアノ道」だと語っていた。

思い出したのが、私も5歳から10歳までピアノ教室に通っていたということ。

5歳離れた姉になんて説得されたか忘れてしまったが、「やるやるやるー!!!」と当時年中さんだった私はピアノ教室の魅力にほだされ、教室に通うことを即決したのである。

ピアノの先生が優しくて、私はピアノの教室が大好きだった。だから、ピアノ道と、我慢を強いるものだという、著書の主張に反発した。

そして「あーピアノの教室、今更通ってみようかな」と思い、ググってみたりした。だが、不思議なことに調べれば調べるほど「ピアノをひくのが怖い」という感覚が全身を覆い尽くしてくるのである。

今でもピアノの音色は大好きだ。自由に引けたらどんなに楽しいだろう、とも思う。だが、教室に通おうと思うと、足がすくむ。もちろん、思いつきで行動してなかなか続けられない性分のせいでもあるだろう。

なぜか?思い返すと、子供の頃のピアノ教室の記憶は、

なぜか、

眠い、グラグラする、眠い、天井と床が回っている…眠い…

なのである。

 

だが、同時に、子どもながらに「ちゃんまるちゃんは才能がある」とめちゃくちゃ絶賛された記憶もある。そしてその「才能がある」には続きがある。

「せっかく才能があるのに、なぜ練習をしないの?」だ。

断片的な記憶だが、楽譜を見ると、目が回った。見えないわけじゃないのに、見えなくて、とにかく、楽譜を凝視しないと読めなかった。

とにかく、ピアノ教室が苦痛で苦痛で仕方がなかったのだ。それでも、私は不思議とピアノの先生は優しくて大好き。いまでも逃げ込む場所として、ピアノ教室夢に出てくる。

この記事を書きながら色々思い出してきたのだが、ピアノ教室にかよっていた頃、私の家は嵐のようにめまぐるしく状況が変わっていた。

2歳で離婚した両親だったが経済的な理由、離婚は家のはじという当時の風潮、DVなどの事情により、母は実家と夫との家をしょっちゅう往復していたのだ。

あいまいな記憶だが、整理すると、

2歳で離婚・祖母宅

入園式の頃・両親家

年中さんごろ・祖母宅

年長さん頃・両親家

卒園式・(小学校)入学式・両親家

小1の5月ごろ(たぶん)・祖母宅

小1秋ごろ(たぶん)・両親家

となり、その後は私はずっと両親家住んでいる

(その後は私以外の人が家から出たり入ったりしている。そのタイミングで盛大な暴力沙汰、警察沙汰が毎年春頃中心に発生する)

 

そして、4年生の時に、全ての習い事をなぜかやめている。いや5年生だったか?おぼえてはいないが。なぜそのタイミングだったか、思い出すことも出来ないが、やめなければならなかったので、そのタイミングでやめたのはよく覚えている。くもんも、スイミングスクールも、全部やめた。

とりあえず、5年間それまでピアノ教室にかよっていたのだが、辞めたりやったりを繰り返していたのだろう。そして、ピアノの先生は、家庭環境が荒み荒んだ私を受け入れてくれていたのだ。たぶん、私をかくまってくれた数少ない大人だった。

余り覚えていないが、教師でもない、一ピアノ教師の若い女性に父も手出しをしなかったのだ。だから、私は堂々とピアノ教師の元へ逃げ込むことができたのだろう。

だが、今思えば、私は、たぶん、家でピアノの練習する余裕がなかったのだと思う。

家でも「うるさい」とか「夜ピアノを弾くんじゃない」と怒られたからか、他に楽しいことがあったからか、よくわからないが、ぜんっぜん練習をしなかった。家では、ビクビクしながらピアノを弾いてすぐやめたり、飽きた記憶がある。

そんな状態だからか、ピアノに触れるのは、教室だけ。宿題をやってこないわけだから、全然進歩しないどころか、怒られる一方だった。ただただ、劣等感と、どうしていいかわからない気持ちで先生のお小言をきいていくうちに私は平衡感覚を失い、「体がぐるぐる回っている」と幽体離脱をしたような不思議な感覚に陥っていた。その中で、必死に一部の私を体の中に残し、厳しくなる一方のピアノの先生の指摘に背筋を伸ばしていた。そして、同時に体は逃避するように眠気に襲われていた。楽譜を読むためのまぶたがどんどん落ちてくる。

それで覚えているのが、

眠い、体が回る、眠い…

ということではないのだろうか?

というか、色々思い出している中、気がついたが、私もなかなかストレスフルな子供時代を過ごしていたのだろう。しかし、子供時代にピアノをうまくなるということをやり残している。

心の何処かでやり直したい気持ちがまだ眠っているのだなー。でも、ピアノが怖くて触れる気がしない。