大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末27ミリ服用中。

子どもネタのフェイスブックがイラッとする理由とは

年齢のせいと言われればその通りだが、私のフェイスブックのニュースフィードには、子供の写真ばっかり流れてくる。特に、地元の友だちの子ども自慢は半端ない。

私は一応既婚者だが、まだ子どもはいない。そら、もちろんほしいが、ほしいからってできるのが子どもではない。まだタイムリミットに余裕があるからなのか、一度流産して余裕ができたのか、怖気づいたのかよくわからないが、できない今を楽しみたいと思っている。

子どもは嫌いではない。子供の写真は素人がとっても、やっぱり親とかが撮ってると、それなりにいい表情や、いいショットだったりするので、私も幸せになってしまう。

でも、やっぱり、見過ぎてると「お前、それしかないのかよ」と、イラッとしてくる。独身の友人と「フェイスブックのあの、子ども自慢マジウザい」と盛り上がった時はなかなか爽快だった。

でも、なんであんなにうざいのだろうか?ちょっと考えてみようと思う。

 

  • そうはいっても、面識もない他人

私がフェイスブックで登録したのは、写真に写っている子どもではなく、写している親の方である。多くの場合は、一度あったくらいか、一度も会ったこともないガキンチョだ。確かに、「おお、そっくりだな」とか、元気に大きくなってるんだなとか、感慨深いものはあるが、正直「お前なんてしらん」のだ。ガキの近況じゃなくて、親の方の近況をメインにしてくれ、と思う。

 

  • どっかで羨ましい

子どもというのは幸せの象徴とも言える気がする。子どもはうるさい、うざい、めんどくさい塊だけど、やっぱり、そばにいるとなんとも言えない幸福感を与えてくれるものでもある。それをわざわざFBで言われると、独身やら子なし既婚者はやっぱり無意識に嫉妬心を持ってしまうの、かもしれない…?あと、子どもがいない状態だと、なんにも共感できないし、そんなもん、ご近所さんと話せやと思ってしまう。

  • 子どもの気持ちになってしまう

知り合いが自分の子供(0歳時)のFBアカウントを作っていたような気がする。最初見た時「おお、いいな。子どもの成長記録として、大人になったとき、子どもに引き継いでもらおう♪」なんて思ったけど、よくよく考えてみたら自分が子どもの立場だったら「なんで勝手にお母さん(お父さん)は私の画像を名前とセットで、ネットにアップしちゃうわけ!?私の肖像権は!?プライバシーは!?」と思春期になってブチ切れそうなものだなと思った。もちろん、そこまで気がつかなければいいが、人権やら肖像権やらインターネットのセキュリティの勉強をした際、自分がいかに情報社会の中で無防備であるかを思い知らされた時の衝撃ったらないだろう。しかも、我々大人のように、自ら、情報開示をしているのではなく、生まれた時から自動的に、全世界に自分の画像がアップロードされているのだから。…と、漠然と考えたことを、文字にしてみて改めて実はけっこう怖いこと皆平気でやってるんだよね。

 

と、3つ上げてみたけど、やっぱ1つ目が全てな気がします。2つ目もあるとは思うんだけど。FBって不思議なものですよね。なんとなく、子どもにかぎらずリア充自慢大会になっちゃうし。でも、やっぱりつながっていたい。まあ、なきゃなくても人生は何も困らないんだけど。いや、情報収集の上で、多少困ることはあるが、平和に生きていく分には何も困らないよね。