大人のADHD 生活改善日誌

よくわからない生きづらさを持つ人がよりよい人生を模索するブログです。2018年よりADHDの体質の対処療法としてコンサータ始めました。試行錯誤の末45〜54ミリを体調に応じ飲んでますいてます

憧れと嫉妬は紙一重

たぶん嫉妬なんだろうなーと思うんだけど、子供の頃からずっと好きになれないことがある。

国連とか、紛争地域への社会貢献とか、ジャーナリストとかだ。

正直あんまりいい感情が持てない。

目の仇にする必要なんてまったくないし、我ながら何を怒るんだろう?と思うのだけど、そういうことをする人たちが偽善者に思えてしまう。

とても立派だし、私にはとてもできないことだと思うんだけど、いや、海外よりもさ、国内もなかなかですよ?って気持ちが私にはどうしてもある。

 

自己責任だとぶったたかれるけど、まともな教育を受けられない子供も、ネグレクトされる子供もいる、DVに悩み、明日が見えない母子なんてごろごろいる。

夫婦喧嘩は民事不介入で、死ぬまで警察は保護なんてしてくれない。家庭内、学歴や職歴のない母親、子供にとって、この日本はめちゃくちゃ生きづらいし、修羅の国だ。

そんな男を好きになるのが悪い、努力が足りない、と自己責任で一蹴される。就活失敗した、ひきこもり状態にある、そんな成人も、全部全部自己責任。

海外はもちろんけっこうなんだよ。けど、手を差し伸べてもらうことさえないし、自分が危機的状況だということに無自覚な状態だったりする人がこの国にはたくさんいる。

それには目を向けず、わかりやすい話にばっかり目が向くこの国の世論が許せないって、思うと、つい、国際世界に目を向けている人たちに、好印象を持てない。

理性ではわかっているのだけど、世界情勢に目が向く人も、私のように、国内問題に目が向く人、どちらも社会には必要なんだってことは。そして、同じなんだってことは。

だけど、国内のわかりにくい問題をやっているこっちは、圧倒的に地味で、物好きで。褒められたり尊敬されることなんてない、むしろ、穿った見方で見られることも多いと思う。

だから、あまり声高には言わない、というか言えない。

三者が知らない生きづらさとか、もちろんあるとは思うんだわ。だから、たぶんお互い様なんだろうけど、やっぱり、彼らが羨ましいし、嫉妬してしまう。

 

いや、まあ、正直いえば、私も戦場ジャーナリストとか、憧れてたんですよ。でも、私にはできないしね。歪んだ憧れですな。