私は「〇〇」であるという強烈なこだわりがない
私は自分の性別のアイデンティティが希薄な人間だと思う。
自分を女性と思えないし、かといって男性だと思うことは、どうしても違和感がある。
男性である、と主張できないのは、体に男性器がついていないことと、男性ホルモンが優位に流れていないから、と言う理由からだ。だから、女性であることを受け入れているわけでもないし、いわゆる、男でもない、女でもないという、Xジェンダーというわけでもない。自分は本当は男だと強く信じられるトランスジェンダーでさえない。
性別のアイデンティティが希薄、確立していない人間だ。まあ、30歳をすぎてアイデンティティが確立していないというのはまるで思春期のようにとられてしまうかもしれないが、どちらかというと、アイデンティティは一定ではないのだとおもっているわけだが。
おそらくアイデンティティは、使う言語、生まれた地域、性別だけじゃなくて、年齢、子どもがいるか、パートナーはいるか、職業の選択、学歴によって、変わっていくものだろうと思う。
マズローの欲求5段階的な自己実現欲求や、思春期の自我の確立とは少し次元の違う話ではあると思う。
それともう一つ、我ながら希薄だなと思うのは、発達障害者ということだ。ADHDと、現在ブログのタイトルは書いていたが、そろそろ微妙な気がしてきている。一時期、私の仲で、ADHD当事者発信が熱かったのだが、(というか、特にコンサータが熱かった)最近はコンサータを使い慣れてしまったし、特に発信することもないので、自分を育て直しに戻そうかなーとか、思う。それくらい、自分のADHDである、というアイデンティティはそこまで強くない。
ネット上で「#ADHDあるある」とか見ちゃうと、「う、うん、でもそれ人類のあるあると言っても過言じゃないんじゃ…?」とつい思ってしまう。
もちろん、ADHDやらASDはその人の人間性や人生に密接に関わるものだとは思うのだが、障害名をアイデンティティに結びつけるのは若干違和感を覚える。
自分がすがる、アイデンティティがぱっと思いつくのは、職種だ。
自分が生業としている「テレビ屋」という職種には、かなりアイデンティティを持っているが、正直、これもかなり危うい。仕事をやめようと思ったときに「この仕事をやめたら…私には何も残らない…」という尋常ならざる喪失感に襲われ、まともな判断ができなくなるからだ。
…あ、もしかしたら、「非モテ」「キモオタ」「陰キャ」っていうものに対しては、強烈にアイデンティファイされているかもしれないな…。
どうでもいい?
知ってる、わかってる。だけどな、男には、どうでもいいと思われても主張し無くてはならないことがあるんだよ。
いや、嘘です。はい。どうでもいいです。
男性が生理を語ることに感じる漠然とした警戒心
この記事を見て、思い出した。毎日新聞購読していないからちゃんと読めていないけど、生理用品について男性が論じることにふと、心の底で、妙な不安が立ち上がってしまう。でも、妙に発言しづらい。人の体を知ることは大事だし、決して悪いことじゃないからだ。あと、この流れを止めるのも良くないとも思う。ライター諸氏にはぜひ頑張ってほしい。だけど、言葉にしづらい違和感を、どこかにずっと吐き出したかった。
ライター夫婦の仲睦まじい関係性は別として、漠然と思う一言がある。
「え?気持ち悪くね?」
である。
もちろん、記事中に、パートナーシップが改善された、とか、相手のしんどさが理解できたとか書いてあって、もう、すごくいいことだと思う。相手の体を知ることは大切なのだと思う。でも、なんで、他人に、自分の体のことをいちいち報告しなくてはならないのですか?という、素朴な違和感がある。「生理は恥ずかしくない!」「もっと男も生理を知ったほうがいい!」と称賛する自分自身をずーっと、「うーーーーん」と腕組みしながら拒絶しているもうひとりの自分自身って感じだ。
よくわからないけど、これってすごい危ういよなぁと思うのだ。心の奥底で、どうしても、「女の子は守らなきゃくちゃいけない」という共通ルールの上で、話が全部進んでいるような気がして、どうしても気持ち悪いのだ。
なぜ、なんの批判もなく、好意的に受け入れられるのかが全くわからない。このライター夫婦のパートナーシップのことはいいと思うのだ、もちろん。
だが…女性の体ってそんなに特別なんですか?女性ってそんなに守らないといけないものなのですか?女性の体を男性がいちいち見守る、干渉していることが、なぜ誰も気持ち悪い、と思わないのですか?と思うのだ。守るべきは「女」ではなく「弱っている人」、でしょ?と。
男性にとって「生理」は神秘だろう。性器から血が出るなんて、それはなかなか驚異的なものがあるだろう。だけど、男性期から、快楽の絶頂になると白い液体が出る、というのもなかなかの神秘だ。しかも、性器がメンタルの具合と密接にくっついていて、大きくなったり小さくなったり、勝手に動いたりする、なんていうのもめちゃくちゃ神秘だ。女性の体が繊細であるように、男性の体も繊細で、神秘だ。
生理痛で死ぬほど苦労する人もいれば、EDで人生に絶望して死ぬほど苦労する人もいる。知るべきは「女」の体、「女」の苦しみじゃない。「人」の体、「人」の苦しみのはずだ。
身体をネタにするのは、いいと思う。男性の早漏をネタにしたり、童貞や非モテをネタにした漫画はいっぱいあるから。生理だって、同じだ。病気に結びつくこともあれば、ギャグになるものもある。男性器と同じように女性器もまた、逆からシリアスまで様々な顔を持つ。
男性が生理について発信するのは全然悪いことじゃないと思う。むしろいいことだろう。生理は恥ずかしいことじゃないし、もっと恥ずかしくなく語れる環境になればいい。まっとうな大人であれば、生理を恥ずかしいことと受け止めることはない。
人の体を知ることは大切だ。だけどそこに、「女の子は守ってあげないといけない」というルールがあっては、いつか「女な複雑で繊細だから男が気を配って管理してやらないといけない」となって「女は弱いから、男が管理してやらないといけない」は、いずれ「男が女を支配していい」と、結局戻っていってしまうように思う。誰も誰の体も、心も、性別を理由に支配、管理なんてしちゃいけない。女の体は常に弱いわけじゃない。逆に男は常に強いわけじゃない。
手放しに、女性を崇拝することは、支配につながると思う。その気持ち悪さをなぜ誰も口にしないのか、その異常さに私は気持ち悪さをずっと感じている。
社会的に女は弱い立場にあるから、守ってやらなきゃいけない、も、筋違いだ。違うよ。社会的に弱い立場に追いやられるのは、必ずしも女だけじゃないよ。社会的に弱い立場に追いやられても、その人の変えられない属性で守る人、守ってやらなくてもいい人って選別するのが良くないんだよ。と私は思う。
チェリーナイツ コミック 全10巻完結セット (ヤンマガKCスペシャル)
- 作者: 小田原ドラゴン
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/04
- メディア: コミック
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生理のギャグ漫画と対となるのは、チェリーナイツとかじゃないかなーと思う。マジくだらないけど、かわいくて好き。
不登校について思う
別に身のない話なのだが…小学校低学年の姪が不登校になったらしい。
姪っ子の親は、ちょうど海外にも生活拠点がある夫婦だったので、海外の日本人学校に、たぶん通わせている。
不登校になったタイミングでしかその情報を聞いていないので、その後は元気に通っているのだろう。夏休みを利用して帰国したときにあったときは、真っ黒に焼けてとても元気そうだった。
姪っ子は、おばの私が言うのも何なのだが、とても聡明な子だ。勉強が好きだし、図書館や本屋さんにつれていけば、黙って本を読んでいるような子だ。そんな子が不登校になったので、私は特に心配していないのだが、気になるのは彼女の両親だ。
だが、彼女の両親も最初は悩んだようだけど「まあ、私達の子だから、社会性が低くてもしょうがないかなー」と、開き直ったらしい。
ひきこもりが長期化する親の切実な様子をつぶさに見ることが多い身としては、それくらいのゆるさで受け止めているのなら、なんだか、ほっとする次第だった。
よく学校で社会性が育つ、なんて言われるが「いや勉強するところだろ」という思いが強いんじゃないだろうか。というか、私はそう思っている。姪の知識に偏りがでるのは可哀想だから、ちゃんと勉強してほしいとは思うけれども、別に学校じゃなくてもいい、塾でも、通信制でも、なんでも。
人んちのことなので、口を出さないし、姪っ子に学校行けとか、勉強頑張れとか、もちろん言わない。というか、姪っ子は自発的に勝手に勉強する。学ぶと言う行為が、苦ではないのだろう。心の底から羨ましい。
ただ、私自身が親となって、子供が不登校になったら、しかもそれが、人間関係ではなく、勉強したくない、とか、苦痛、とかだったら…困るな―。悩むな―。
学問は、人間関係や職業選択の武器になるだけでなく、自分が立ち止まったとき、悩んだときの強力なアシストになる。孤独から救い出してくれる救済にもなる。なによりも、知らない世界への扉を開く鍵にもなるし、それ自体が遊びにもなる。
基礎を学ぶまでは忍耐がいるかもしれないけれども、その基礎さえ学べば、可能性は広がるばかりだ。
でも、学校の勉強が苦なのだしたら、勉強は楽しいものだと、感じてもらえる環境を、親は作ってあげることしか出来ないんだろうな。
…学校じゃなくてもコミュニケーションは学べると思うのは、単に私がコミュニケーション強者なのかもしれないなぁ。
コンサータログはもう辞めた
コンサータログを書くのはもう辞めること…というか、単純に別に書くことがないので、辞めた。
最近、正直あまり書くことがない。
ないこともないのだけど、書くほどまとまらない。
ただ、流産の話がトップにあるのもなーということで、とりあえず生存確認的な感じで、ブログあげておきます。
流産したからこそ見えてきた世界
ADHDのテーマとは外れますが…人体についての私の人生観を変えた流産について振り返りたいと思います。
ふと思うことがある。私は30歳で結婚して、避妊を解除したら、即妊娠した。もし子供が順調に育っていたら、31歳でママ、現在たぶん、4歳位の子持ちとなって、全く違った人生になっていたと思う。
流産して1年後くらいに、流産したことを特に言わず、私と同じように結婚して、すぐ子供ができた人と話している時に
「いやー子供は、授かりもんだから、望まなくてもできることはあるし、望んでも出来ないこともありますものね」
なんていう話をしたら
「そうですか?すぐ出来ますよ。避妊解除したらすぐ出来ましたよ」
と言われた。
「私もそうだと思っていました!ていうか実際出来ましたし。でも流れたんですよ。別に流れたことはどうでもいいし、すぐまた出来ると思ってたんだけど、その後全然できなくて。ああ、子供っていうのは、くじ引きみたいなもんなんだなーと感じましたよ」
「…そうですかね…?」と少しいぶかしそうで、そして少しバツが悪そうな表情をしていた。
あ、この人は、「あなたはそうだけど、俺たちは、計画的にできるから」と、私を哀れんで、自分には関係ないと思い込んでいるのが目に見えてしまった。
ハッとした。この想像力の差は経験の差だ。
正直、流産したこと、子供ができなかったことに感謝すら覚えた。
「自分は大丈夫」
「計画的に生きられる」
「現代科学を使えば人体はコントロールできる」
と根拠のないことを盲信する愚か者にならずにすんだな、と。こんな感情を持つのは良くないけれど「哀れだな」とさえ思った。
私自身、子供ができないことは計画性のなさ、努力不足だと思っているフシがあった。だからこそ、結婚に焦ったし、子供を作らない人間は努力が足りないとさえ思っていた。おそらく、結婚までは努力でなんとかなるものだろう。女子力なるものや経済力で相手を引きつけることは可能だろう。だが、子供を持つこと、パートナーと子供を育てること、子供を健康に育て上げることは、計画や努力でなんとかなるようなものじゃない。絶対に自己責任では説明できないことが起こりうる。
そんな彼も、今や2人の子供を育てる親になっている。私が知り得ることのないあ、子育てに悪戦苦闘し、もしかしたら、「人や、人体は、思い通りにならない」と気がついているかもしれない。でも、気がついていないかもしれない。
私は、流産して、子宝に恵まれなかったことを改めて感謝したい。もしあの時子供がすくすく育っていたら、きっとどこかで、子供が出来ない人に対して「私は計画性のないあなたたちとは違う」と、どこかで思う気持ちを自覚することすら出来なかったかもしれないからなぁ。
うまく言語化できないんだけど、恵まれた環境で育った劣等生そのもののメンタリティを捨て去ることができたいい転機となったんだなと思う。
子供がいてもいいし、いなくてもいい、別に自分が産まなくたって、子供を育てることができるし、子供が幸せに暮らしていける社会を作ることが、子供を増やすことに直結するわけだし。あと、何よりも、親だけで子供を育てることは不可能なのだから、子供のいる人を支えるだけでも、十分なわけだ。
まだ競争社会の呪いが溶け切っていない頃の焦燥感たっぷりの私のつぶやき。
まだまだ分からないことや、常識と自分の能力の差に振り回されて、常識通り生きられない自分を苦しめてしまいがち。だけど、少しずつ楽に生きる道を模索したいものだ。
コンサータの副作用について書いてあるブログを見つけた
ここ数日、36ミリにコンサータの量を減らしてみた。
印象的に36ミリだろうが、45ミリだろうが、大した差がないな、という気がしていたから「36ミリにしましょうか、安いし」と、先生に言われて、減らしてみた。が、最近、45ミリを飲み終わって、36ミリにしてみたら、存外、聞いていないんじゃないかと思うようになった、数日なので、なんとも言えないが
- 毎朝家を出て鍵を締めてから忘れ物に気がついて戻る
- 午後眠くてしんどい
- 朝から寝た
- 細かい文章を読むのが難儀する
36ミリでも、飲み始めたころは、眠くなりにくい印象があったのだが45ミリから36ミリにしてみたら、すごい凡ミス連発になってて、あれ…もしかして?と感じるようになったのだ。ただ、日によって印象が違うし、劇的に聞いてる感覚は安定的にないので、増やしていいのかなーとか、54ミリ一度試してみようかなーと思っている。
そんな矢先、こんなブログを見つけた。
上手く言えないんだけど、コンサータを飲むと起こる副作用とか、コンサータがメガネみたい、っていうのはすごくよくわかる。
この薬というのは、だるさを取ってくれるし、視界の狭さも取ってくれるのだが、こんなにも楽になるのは、なんか、皆より楽をしている気分になるが、逆なんだよね、皆こんなに眠くないんだよね。
コンサータログ45ミリ3週目 - ADHDの自分を育て直し
と、時々ふと感じる。
ただ、この人のブログを見て、頭痛も副作用なのだ、と気がついた。
体調も崩しやすくなり、甲状腺が腫れたりしました。(主治医曰く、コンサータの影響で腫れることはたまにあるそうです)
ADHD治療薬のコンサータの効果や副作用は?服薬開始から1年経過した感想について - 成人ADHDが理想の生活を目指すブログ
交感神経を働かせるという薬の作用的に、自律神経失調症や甲状腺疾患に似た副作用が出やすいのかもしれません。メリットと引き換えに、自律神経失調症のようなだるさが毎日続いている状態です。
ADHD治療薬のコンサータの効果や副作用は?服薬開始から1年経過した感想について - 成人ADHDが理想の生活を目指すブログ
頭痛、なんかも副作用にあるそうだ。いつもっていうわけじゃないし、薬を飲んでないと、だるいし、ぼーっとするから、あんまりかわらないんだけど。
言われてみたら、頭痛なんてそこまでしなかったのに、最近頭痛に悩むな。と思い返した。なんだろう。全般的に私自分の体調をよくわかっていないんだよな…。
私はコンサータを飲むことで「確実に命を削っているな」という実感があるのです。先程の通り、体調はずっと優れません。ある意味毎日ギリギリです。
ADHD治療薬のコンサータの効果や副作用は?服薬開始から1年経過した感想について - 成人ADHDが理想の生活を目指すブログ
これは人それぞれなのかもしれないなぁ。正直、動悸もよくわからないし、口は乾いて難儀したけど、慣れたらそこまで気にならないし。食欲も減ったけど、口に入れたくない、って思うだけで、お腹はすくから、ガンガン食べるし、なぜか体重は増えてるし(寝る前にお菓子を食べるからです)。
私はまだ3ヶ月くらいだから、もうちょっとしたら、「命を削ってる」感覚がわかる日がくるのかもしれないな〜。
ワタシ的にはこの、コンサータって飲んでるけど、いまいち効果がよくわからないって、思うんだけど、皆どうなんだろう、をもうちょっと解明していきたい。
※効果は、薬を飲まなくなったり、量を減らすと、劇的にわかるんだけど(眠くて起きてられないとか、凡ミス量が激増するとか、集中力が全然ちがったり)飲んでる分にはわからないんだよねぇ。
コンサータログ45ミリ3週目
改めて45ミリのコンサータログ。
でも、36ミリと大差はないので、ほぼほぼただの睡眠記録。
個人的にとてもいい。ブログとしてアップする必要はないけど、ワタシ的にすごく役に立つ。
(中断4日を挟む)
再開1日目 睡眠9時間 くもり
10時起床、10時前に飲むルールだと永遠に飲まない気がして薬を飲む。仕事で企画書をがしがし書く。薬を飲んだからか、色々と先送りにしていた事案に着手。26時ごろ寝る。
2日目 睡眠10時間 くもり
朝8時ごろ起床。仕事をするが、午後のアポイントの時間を1時間間違える。しまったー。思い入れが低いものはスケジュールを確認しないから、こういうことが起こる。ああ。27時ごろ寝る。
3日目 睡眠5時間 くもり
8時半ごろ起きる。比較的涼しくなったおかげで、圧倒的に寝た感。しかし、睡眠時間がやはり足りないのか、仕事は散漫。というかほとんど手付かず。あかんやつやこれ。
通院日でもあった。先生とは、薬代を鑑み、36でも45でも大差ないなら、36ミリにしましょう、と言われ、36ミリを処方された。とりあえず薬がなくなるまで46ミリでも飲んでおこう。夜運動をして2時過ぎに寝る
4日目 睡眠6時間 雨
8時過ぎに起床。薬を飲んで遊びに。仕事といういきたくないが強制力が働くものでなければ、私は大体睡眠6時間くらいなのだろうか?少し短い気もする。8時間くらいは寝たい。2時くらいに寝ただろうか。
5日目 睡眠9時間 晴れ
11時ごろ起床。とても眠かったような気がするから就寝時間はもっと遅かったかも。台風一過。色々片付けたら寝るのが3時過ぎに。
6日目 睡眠3時間 晴れ
6時半起床。会社の行事で山へ。寝てないせいか山道で酔ったのか、胃腸絶不調。24時頃寝る。
7日目 睡眠8時間 晴れ(服用せず)
8時ごろ寝る。山小屋で寝たが寒かったりであまり寝れなかった。だるすぎて家に帰って18時ごろから25時まで風呂入ってないので布団には行かず床で寝る。風呂に入って3時半ごろ就寝。薬が効いていないせいか、めちゃめちゃ眠い。帰りの車の中でも爆睡。腹の調子も絶不調。この薬というのは、だるさを取ってくれるし、視界の狭さも取ってくれるのだが、こんなにも楽になるのは、なんか、皆より楽をしている気分になるが、逆なんだよね、皆こんなに眠くないんだよね。