スポーツをやって一つわかったこと
いろんな本や、人の話を聞いていると、「野球に置き換えると…」とか、スポーツのたとえ話で説明してくるシーンがある。
私はスポーツ全般に疎く、スポーツに例えられるならまだドラゴンボールやらドラクエに例えられた方が分かるのだが、人はすぐ自分がやっていたスポーツに話を持っていきたがるものだ。
というか、スポーツで例える人は、変な話謙虚さが少ない。
漫画やゲームで例えてくれる人は分からなくても仕方がない、というだめもと姿勢で例えてくれるが、スポーツだと、分かって当然と言わんばかりなのだ。
世の中には、体育の授業以外でスポーツらしいスポーツをしないで生きている人間もいるのだということがあまり分からないらしい。
なぜ人がそういう行動に出るのか、別段気にもしなかったが(気には障っていたが)、最近格闘技や、ランニングをするようになって、その気持ちが少し理解できるようになった。
スポーツというのは、発達のプロセスがかなり明瞭だということだ。
くそ運動音痴でも、ランニングでも、格闘技でも、やればやるだけ結果がでる。
些細なことが結果に表れる。体というのは存外自分の努力に答えてくれるもののようだ。
たしかに、学校の勉強、私は絵を描く努力、映像をつなぐ努力をしてきたが、スポーツほどの分かりやすさというのか、努力のリターンが明瞭なものではなかった。
たしかに、これを経験していれば、何かの発達のたとえにつかいたくなる気持ちは分かる。
だけど、やっぱり、スポーツというのは、どこか自己満足、ボディビルにも似た他人は関係ない部分があると思うから、むやみやたらに関係ないところで例えばなしするのはどうも好きにはなれない。
あと、野球とサッカーはルールや選手しってて当然というファンの態度が腹が立つ。しらねえっつーの。サッカーは、バスケみたいなものだからなんとなく分かるけど、野球は全然わからぬ。